店主酔言
書籍・映画・その他もろもろ日記

[ 以前の日記 ]
2000  9 / 10 / 11 / 12
2001  1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 / 10 / 11 / 12
2002  1 / 2 / 3 / 4 / 5 / 6 / 7 / 8 / 9 / 10 / 11 / 12
2003  1

[ 銀鰻亭店内へ ]
2003.2
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28  


2月2日(日) 雪
 朝、新聞を手に寝床へ戻ってきた相方に叩き起こされた。スペースシャトル・コロンビアが空中分解・墜落、乗員7名は絶望…。あまりのことにしばし呆然。
 先週いっぱいのビジーの山を片付け、かつ家内の雑事は昨日のうちに処理して爽快な朝になるはずだったのになぁ。人並み優れた人々の死に合掌しつつ、また宇宙計画が立ち遅れるであろうことに憂愁をつのらせるのであった。うう、なんつー寝覚めの悪い。もっぺん寝y(殴打)
 ねこま「嫌なことがあるとギャグに逃げるクセはやめなさい」
 …すんません。

 ところで先週のビジーなんだが、実はこれは僕ひとりに留まらず、ヒロツさんちのチャットルームの仲間のほとんどに感染していた。そう、あまりの忙しさに日記にすら書かなかったが、これは、呪いだったのだ。
 ことの起こりは、CNNのニュースサイトである。先週冒頭、何の気なしに見て回っていたら、かのビリー・ジョエルが自動車事故という見出しがあるではないか。何を隠そう、今でも結構好きなもんで、とっととページを開いたと思いねぇ。
 そしたら記事に「ビジー・ジョエル」と。
 しかも、チャット仲間に知らせて、みんな楽しくウォッチすること半日、ちっとも直らねぇときたもんだお立会い。
 それで笑っていただけなら良いのだが、おそるべし、その日から常連一同こぞって仕事の大波に襲われたのだ。ヒロツさん、楽天丸さん、JUNCITさん、にゃにゃさん、TAKO'Sさん、それに僕と、軒並みやられてしまった。これは呪い以外の何だというのか!
 …ってまぁ、単なる偶然なんスけどね。ヒロツさんや楽天丸さんはいつものこったし、TAKO'Sアニキもこのシーズンは多忙と決まってる。まして常なら先陣切って忙しいはずのやむさんが入ってないんだし。
 しかし、真面目な話、CNNに限らずニュースサイトにはマヌケな誤字が多すぎる。いくら速報が命のニュース業界ったって、読み返しぐらいすりゃよかろうに。ビジー薄命ってぐらいなもんで、こういう馬鹿ネタは早々に片付けて欲しいもんだ。
 …いえ、この一言が言いたかっただけなんです。すんません。

2月3日(月) 晴
 出勤途上、南から帰ってきたのであろう、キレンジャクの小群に出会う。鈴を振るような可憐な声、柔らかながら目を惹く明るい色合い、枝を飛び交う機敏な動作を見ているだけで微笑ましい…のだが、春を告げる鳥は空を舞うのに路面はアイスバーン、そこを僕らはペンギン歩きしてますってなもんだちくしょーい。ああ風情が無いのう。

 ぶうたれつつ出社、幸いビジーの呪いは週をまたいで追ってこなかったらしい。かくて真っ当な時間に昼休みとなり、例によってショッピングモールを徘徊。ガシャポンコーナーへ立ち寄ったら、なかなかモノスゴイものが登場していた。
 いわく「歴史ミュージアム 埴輪と土偶」。全6種って。おい。
 マニアックを通り越してないかコレは。しかも初手から遮光式土偶、いわゆるシャコちゃん、処によってはメリーちゃん(『黒もん』読者専用)が2つ続けて出現するし…ええ、買いましたがなにか?<なにかじゃねぇって
 さらに食玩売り場へ足を向けたら、ここではスタートレックのピンバッジを発見した。遥か昔、銀河系の彼方で…(はスターウォーズだ馬鹿者)中高生のみぎりにTVで大ハマリした身として素通りはできぬ。さっそく2個購入。最初の1個で科学仕官の記章が出たのは当時の僕の執念が残っていたものならん。シンプルな形とはいえ金属の質感もあいまって出来はなかなか。裏の止め具がゴム製で心もとないが、これは金具を買ってきて交換すればいいか。
 ところで僕を熱狂させたあの番組は今はTOS(Tv Original Series)と呼ばれているんだそうな。そういえばNext GenerationとかDeep Space Nineとか、いろいろあるもんなあ。観てないけど。映画『故郷までの長い道』で訣別したんよわしゃあ。
 がしかし、書庫にはノベライズが眠り、マニュアル類やブループリントは今も貴重品として飾ってあったりするけどな。とりあえず後はIDICとクリンゴンの徽章が欲しいです。<それは訣別していない

 それにしても、最近とみに食玩やガシャポンの類に二極化が進んできた気がする。ひところはマニア御用達グッズばかりだったのが、縫いぐるみやミニ玩具など現役の子供用が増えているような。いろんなモノが増えて楽しい気はするけれど、口に入るもののほうはちゃんとした品質なのかなと他所事ながらちと心配。あと、何でもかんでもオマケなしには買わないような妙な価値観が育つのも、あとあとのことを考えるとキモチ良いものじゃないね。
 何より、子供を持ってるコレクターさんには危険度が倍になっただけかもしれぬ。ってか子供のいないマニーどもにはライバル増殖かもだ。明日もガキどもを蹴散らして買い漁るとしよう…じゃなくて、いろんな世代が長く楽しめるものであってほしいもんです、はい。

 夜、ニュースサイトで不愉快な記事を見る。先ごろ墜落したスペースシャトルの破片と称するものをネットオークションに出した馬鹿がいたそうだ。何、決めつけは良くない?こんなん馬鹿に決まってるだろう。何度でも言ってやるぜ馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿大馬鹿糞馬鹿。ぜーはぁぜーはぁ。モニタの前で毒づきまくってる僕もかなり馬鹿かも知れんけど。
 そもそも今から事故の原因調査で1個でも破片を集めねばならん時に、それをかっぱらうだけでもどうかと思うが、まして人の命が失われたものを金に替えようという根性が浅ましい。ムカつくなんてもんじゃない。霊の祟りの因果応報のというのを信じてないのが悔しくなるような話であった。破片に微細な宇宙生物がくっついてて、それに侵食されてブロブにでもなっちまいやがれッ!<そういうのは信じてるのか?

2月4日(火) 晴時々雪
 『飛蝗の農場(ジェレミー・ドロンフィールド/著、越前敏弥/訳、創元推理文庫)』を読む。
 感想をひとことで言うなら「友達には勧めたくないミステリ」かな。謎解きとしてはほとんど楽しめない。
 己しか見ていない男と女の、それぞれ言い訳をまとった交錯図が流れ過ぎていく中でひとつの事件が描き出され、そこに「嵐が丘」や「指輪物語」のゴクリといった暗澹たるイメージが塗り重ねられる。この構造は、例も多く見るとはいえ良く出来ていた。また、全編を通じて漂う背徳感、罪の生臭さも気分の良いものでないにもかかわらず先へ先へと読み手を誘う。だが、幾重にも重なった風景の中から姿をあらわすネタが、なんというか…非常に大時代で、そこまでで素直に物語へ集中していればいるほど肩透かしを食らう構造になっている。謎の答えが見えた瞬間、それら全てが逆に安っぽい加工に見えてしまうのだ。いくら何でも、現代小説でこりゃねーべ?というところだろう。
 ただ、それでも読ませる。そして残るのは不快感。
 澱のように、軟泥のようにこびりつく。それが乾いて剥がれ去った後に微かな汚点が、なぜか意識にひっかかって離れない。そんな感覚。
 その点においてすぐれた読み物であり、筆者の技術の高さには賞賛を送るしかない。けれど友と呼ぶ相手には勧められず、自分でも繰り返し読む気にはなれない、まぁそういう稀有な本ではあったわな。

2月5日(水) 曇時々雪
 先ごろ、とある友人の掲示板でWebページのアクセシビリティについて話を伺う機会があり、ちょいと衝撃を受けた。サイトの主催者氏が大幅なリニューアルを行うに際してレイアウト(これがまた実に美しいんだ)をCSSに切り替えた理由が「視覚障害者にも読みやすいコンテンツ」を目指してのことという、彼自身の辛い経験を含めてのその背景にこころ動いたのはもちろんだが、正直そうした人がWebを利用するという認識がまるで無かったんだよ僕ぁ。恥じるべき無知ではあるけれど、これは本当に驚きだった。
 で、ちょうど仕事で機会があったのを幸い調べてみると、視覚障害者がWebを「見る(つまり音声で読み上げる)」ためのアプリケーションは幾つもあるらしい。代表的なものとして「ボイス・サーフィン」「ホームページ・リーダー」など。だが認知度は低いし価格は高い、必要とする人へのプレゼンテーションも万全とはいえない。だいたい、前者を紹介しているページのひとつなんざぁ、パッケージ画像らしいものを丸ごと貼り付けただけなんてぇのがあった。ALT属性での説明文すら無しでは、このソフトでも読めないんだけどどうよ?
 まぁそれはさておき、こうしたツールを使ってコンテンツを読むと邪魔になる要素が、昨今のWebサイトでは非常に多い。
 テーブル:列ごとに読むので、これがレイアウトに使われていると妙な順番で聞かされることになる。
 画像:リンクの場合は特にそうだが、ALT属性なしでは何だか分からない。もちろん動画は意味が無い。
 フレーム:ページ扱いになってしまうので、いちいち切り替える必要がある。
 PDFファイル:ブラウザでテキスト化できない場合には全く使えない。
 こうした基準に照らしてみると、企業サイトのほとんどが非常に不親切ということになるのではなかろうか。先に上げたような本末転倒はさておき、Flashを多用してたりメニューに使っていたり、画像をボタンにしているところは大方がそうだろう。もちろん日本の自治体でコレを考えてコンテンツを作ってるところもほとんどあるまい。
 しかし、この件についてアメリカでは既に1999年に勧告がなされ、2001年6月には米国リハビリテーション法508条が施行、連邦政府および全州政府が提供するすべての電子情報技術に対し、アクセシビリティの基準を設け、過度の負担とならない限り基準を満たしたものしか調達・開発・保守・使用できないことになっているという。
 権利大国アメリカ、差別アレルギーの産物と思っていられるうちはいい。障害者をイレギュラー・ファクターとして考えているのもよかろう。情報にアクセスしたいなら、求める側が努力すべきとするのも、ある意味間違いではあるまい。傲慢ではあるけどな。
 だが、視覚は誰しもいずれ衰えるものだ。
 僕なんざぁ小学校3年生から40目前の今に至るまで瓶底眼鏡が手放せないから、見えないことの不便は嫌になるほど知っている。これから年を取ってさらに見えなくなったらどうしようという不安もひと一倍大きい。なんたって本が読めなくなるじゃないか!もとより本で悪くした目だけどさ。いや、まぁそれは脱線としてもだ。
 バリアフリーなんて大仰なことを言わずとも、考えて損は無い問題だと思う。既にそうした「誰にでも読めるページ」の基準をチェックできるサイトやソフトも出てきている。サイト管理者諸氏、ものは試しで以下などどうだろうか。
 Another HTML-lint gateway
 ウェブヘルパー(総務省)
 Personal i-Checker Ver.1.0(IBM:アクセシビリティーチェック用フリーウェア)
 ウェブバリアファインダー(バリアフリー無料診断ページ)
 ちなみに最初ので試してみたが、僕の表看板サイト「 FOXHOUND IRREGULARS 」のトップは42点、そこでダラダラ連載の挙句放置している小説は基本レベルでCSSを使ってるせいか74点で、それぞれ「ふつうです」をいただいた。が、この日記(先月分)に至っては13点「がんばりましょう」である。不勉強の証明みたいなモンだ、情けないのう。
 もっとも「スタトレのピンズ買い足したらTNGばっかでツマンネーヨ!うわ〜ん!」なんて中年の叫び、わざわざ読みにくる向きもそう多くはないと思うが…って、うるさいほっとけ!<障害云々以前の問題。

2月6日(木) 曇時々雪
 昨日は何だか自分でも分かってないようなコムツカシイことを書いたな〜と思っていたら、案の定理解が足らんかったらしい。日本政府や企業でも既に取り組んでるトコはあるそうだ。
 ウェブコンテンツ・アクセシビリティ・ガイドライン
 IBM Webアクセシビリティチェックリスト
 日立 Webユニバーサルデザインガイドライン
 富士通 ウェブアクセシビリティ指針
 今はまだブラウザの対応やなんかで表示が正しくされないなんてぇ問題もあるけれど、ハンディキャップを乗り越えて一緒に遊べる場をWebにもてるなら素晴らしいことだよね。それに、たとえばいずれ音声再生機能をブラウザが標準でもったら、もっと面白いことだって出来る筈だし。そういうことへの一歩に全く役立たない身としても、この件にはアンテナを伸ばしておきたいもんである。

 とかなんとか頭を使う慣れないことをしていたら、夜に入って熱が出てきた。知恵熱というヤツだな。しかし咳が出るのはなぜだ。うーん。<まともなアンテナが機能してない模様

2月10日(月) 曇
 土日と雑事に追われて観なかった番組をビデオで眺める。CMが無いと早いやねえ。最近のCMは昔みたいにビデオ側でカットできないのが悔しいくらいである。とはいえ広告無しに番組も無し、スポンサーから一言二言は謹んで早回しさせていただくのが筋というものであろう。実際のトコ、面白いCMのために番組をスッ飛ばしたりもしますけどね、ええ。これもやはり筋違いのような気もするが。

 で、ここ2日の番組は、やはりっつーか何つーかCM優先したくなるよーなシロモノが多かった。他はさておき、一週間のガス抜きにしている特撮系がダメなのは痛い。目出度く最終回の『ハリケンジャー』は…何も言いたくないなぁ。尺を詰めた中に無理やりネタを押し込んで締めます、みたいな戦闘シーンの連続が飽きさせる。ラスボスが次から次へ形状を変えて襲ってくるって、あんたそりゃ四角い会社のゲームですか?そういえば最新作がもうすぐだっけ。ねこまが楽しみにしてるんだよねアレ…と思考がお出かけしてしまう有様。シリーズ前半戦で力いっぱい展開した「お約束踏みまくり」様式の楽しみが、ただの型にはまった惰性に堕して終わっのは非常に残念であった。
 『ファイズ』は次へのツナギ話、突拍子も無い性格の新キャラ登場。お人よしとかいうレベルじゃないカリカチュアっぷりは、正直キモチワルイ。まぁ、敵方に回ってしまうらしいメル友の娘さんとの対比がこれからのキーってことか。
 ところで新ライダー『ファイズ』だが、あれ変身ポーズって必要なのかね?キー入力してベルトに差し込んでコンプリートなら、掛け声もいらないと思うのだが。それともあのケースの中のマニュアルに書いてあるのかな「キー操作を行った後、音声指示に従い大きな声で”変身!”と叫んでからセットしてください」とか。そもそもマニュアル自体がファーストステップガイド形式になってたりして。「はじめにお読みください」「まず変身してみましょう」「ちょっと進んだ使い方」「困ったときは」なんて書いてあったらちょっとイヤかもだ。で、その場合サポセンはどこですか?やっぱスマートブレイン?

2月11日(火) 晴時々曇
 なんとなく頭や肩が重い休日。風邪気味のようだ拗らせたら面倒だろうと、仕事に行く相方の背中を見送って即座に寝床へ逆戻り。陽射しも明るいし眠れないだろうなぁ…と思っていたら、数分と経たずに熟睡。湯たんぽ2匹はなかなかに強力である。
 しかしその後、湯たんぽどもはテリトリーを巡って争いを繰り返し、何度も眠りの底から僕を引きずり上げてくれたのだった。あのな貴様ら、猫ってぇのは「寝る子」からきてるんだぞ?人間様が寝てるってぇのに起きて騒ぐってのは何事よ?寝ろ!いいから寝ろ!こねてやるから寝ろ!
 郵便屋さん「書留でーす」
 しくしく。
 かくて休日の半分を使い物にならないボンヤリ状態で過ごす。これを北海道弁では「はんかくせー」と申しまして…いや、別にこのネタが書きたかったワケじゃないって!

 午後になって猫たちは急に静かになったが、既にこちらの眠気は吹っ飛んでおり、さりとて肩は重いままで手の込んだ作業もできない。そこで、以前からねこまに依頼されていた「お湯パーマ」に挑戦してみるかと「シオン」を一体取り出してきた。
 ものの本によると濡らして整形して茹でるとのことだが、この人形は髪の先がやたらにウェーブがかっていて、それがいいだけもつれ合っている。これをそのまま加熱しても仕方なかろうと、まずは柔軟仕上げ剤溶液でもみ洗いしてみた。
 …髪が抜けるんですけど。ええ、『東海道四谷怪談』の髪すきの場みてぇにずるずると。
 恐くなったが、そこで止めるとこっちが相方に毟られかねん。かくてせっせと髪を解きほぐし、形を整えて茹でるところまで頑張った。終わった時には肩の重みが層倍していたことはいうまでもない。やっぱ何処まで行ってもはんかくせー休日であった。いやだからネタじゃなく。

2月12日(木) 曇時々晴
 近在のショッピングモールへ昼飯を買いに行き、今まさに旬たけなわのバレンタインコーナーを通過。色も形もとりどりなチョコの棚を、毎度ながら華やかよのぉと眺めていたら、その間に、トランクスが並んでいるのを発見。
 ホワイトデーに女性に下着を贈るってぇキャンペーンをメーカーが張ってるのは知ってたが、これはその逆バージョンってことか?んで貰ったオトコノコがソレを身に付けてホワイトデーに「お返しはボ・ク・ ♥」とか…ぎゃあッ!
 いや、まぁ、そういう怖い想像はさておいても、昨今のバレンタイン事情は昔とは違うらしい。職場の「義理」はますます事務的になり、「本命」以外に自分の楽しみ用に高級なのを求める女性も増えているとか。チョコを売らんかなと商魂まみれで始まったイベントをすっかり我がものにして、みっちり楽しむ女性達のたくましき哉。
 ちなみに我が家のバレンタインは、僕がチョコを買って相方が食べることになっている。ホワイトデーも同様である。別にチョコ好きじゃないからいいんだけど、何か間違ってるような気もするな。気のせいですか?

 帰宅して昨日のシオンの「ストレートパーマ」の続きをしていたら、ストーブからの熱風で一部がチリチリになってしまった。本当に瞬時のことで、ただ呆然。湯につけた感触から熱に弱いだろうとは思っていたが、まさかこれほどとは。
 仕方が無いので、また柔軟仕上げ剤につけて、柔らかくなったところで解きほぐす。今度はラップでくるんで、あらかた乾くまで放置してみることにした。居室のほうでやってたんでスタンドが無く、観葉植物の水差しに差してみた。
 …冬枯れの鉢物とあいまって、小塚ッ原の晒し首という印象になった。これはマン盆栽としては通らない、だろうなぁ。<当たり前だ

2月13日(木) 曇時々雪
 気まぐれに『殺しのからくり(講談社漫画文庫)』を手に取る。石ノ森正太郎、上村一夫、さいとう・たかを、手塚治虫、横山光輝という顔ぶれの時代劇画アンソロジーである。
 時代物の劇画といえば、学生の頃に『影狩り(さいとう・たかを)』に読みふけったりしたのだけど、その後はめっきり小説好き、資料も少しは目を通してきたもので、残念ながらもうのめりこめないんだよなあ。設定や台詞回しのアラが目に付くと、上に乗ってる話が現代モノにしても何ら違和感が無いのが見え見えで「タイムトラベル」の興を削がれるのだ。嫌いというのじゃないけれど、一歩冷めちまうんですぜご隠居〜。<誰
 しかし、中で手塚治虫だけは一味違った。『最上殿始末』はあちこちに再録されまくってるから何度も読んでいるのに、憎悪と愛のせめぎ合いが小さな震撼をもたらす。またコメディタッチの『一族参上』も、小味の利いたショートショートとして実によく出来ている。流石漫画の神様というべきならん。IMEが直で変換するだけのこたぁあらーね、ご隠居。<だから誰

2月15日(土) 曇
 子供の命が絶たれるのは、大人のそれに比して痛ましい思いをさせる。稚い弱いものへの同情、これから生きるはずだった年月を想うからだろう。まして原因不明の突然死とあれば、残された両親にはかける言葉さえ見つからない。
 しかし、それが親自身によって行われた犯罪であったなら?
 『赤ちゃんは殺されたのか(R・ファーストマン&J・タラン/著、実川元子/訳、文春文庫)』は、乳幼児突然死症候群(SIDS)の名に隠されていた殺人を暴いたノンフィクションである。だが、ことはそれだけで終わっていない。その症例を定義づけたセオリーそのもの、医者の判断に司法が切り込み、それを事実上覆した過程をも追っている。
 この後者が成立した過程が周囲の証言によって描かれるのだが、閃いたアイディアに固執するあまり検証を怠り、のみならず情報を自分の都合の良いように解釈していく医師の姿が浮き彫りになるにつれ、呆れながらもじわじわと怒りが湧いてくる。もとより批判的に論われているとはいえ、仮定を目標にするスタンス自体科学者がもっていいものではない。たとえば実験室内でのみ済むことなら、或いはコミュニュケート手段やメディアの発達したこの時代でなければ許されたことかもしれないが、それをもって大勢を誤った道に導き、結果として犯罪の隠れ蓑になったという事実が死者の数となって表れたことには、ただ慄然とするしかない。
 しかし、これはただ一人、「無呼吸セオリー」の提唱者シュテインシュナイダーに帰属する罪なのだろうか。問い返すことをせず鵜呑みに受け入れ、大勢に流された凡百の(と、あえて言おう)医師たちの罪は?誰も問うことができない、この罪こそが数多の殺人を直接闇に葬ったというのに。
 純粋な好奇心が失われたとき、科学もともに失われる。「エセ科学」志向が医療の現場にすらはびこっていた実態は、人というものが「信じたいことを信じてしまう」弱さをどこまでも持っていることをこそ証明してしまった。命を、ことに弱者である赤ん坊のそれを預かる職務にある者には特に、己をも常に疑う強さをもって欲しいものである。
 もっとも、本書はいかにもアメリカ風なショーアップされた裁判や警察の誘導尋問の状況、はじめから「犯人」たちに批判的な著者の目もあって、いささか偏った扇情的な読み物に留まる面が多いように感じられる。また、巻末の訳者子によれば研究者の人となりや履歴を描いた部分は邦訳にあたってカットされたとのこと、さらに説得力を加えるべき部分を欠いたともいえる。本の厚みと価格を考えての措置ではないかと思うが、情報不足が招いた悲劇を描いた本なのだ、できれば全編をまとめて訳して欲しいものであるな。

2月16日(日) 曇時々雪
 ねこまと2人、市内のデパートで開催された「英国ドールハウスの世界」展を観に行く。結論からいうと、あまり大した見ものではなかったな。事前情報ではヴィクトリア調の建築物というので、その時代に作られたものを期待していたのだが、実際は現在流通しているキットを多用した現代作家のものが多く、自作の小物もほとんど無い。金をかければ誰でも同じに作れそうなものばかり、建物の外観ごと作った2、3の作品以外はどれもオリジナルとして評価できないように感じた。
 そんな中で、監修協力にあたっている磯貝吉紀氏の作品はどれもが非常に個性的だった。特に、同じサイズのボックスにスマートにまとめられた店のシリーズは、そこで行われる商いや訪れる人の姿をも想像させて楽しい。僕は模型屋が特に気に入った。次点は家具屋かな。フレームだけの椅子と布見本がさりげなく置かれている店内に、ふいと足を踏み入れたくなったほどだ。ただ、あえて難を言わせていただくなら、大型の書斎にオットマンが無かったこと…って、住むつもりか僕?
 あと、これは主催側の咎ではないが、子供、それも躾のなってないガキどもに非常にうんざりさせられた。もとよりドールハウスは子供の愛玩物に端を発してるとはいえ、展示物はそれとは違うということを親が理解してないとしか思えない。野放しにされて走る、展示台にぶつかってよじ上ろうとする、出口付近のショップで繊細な細工物に勝手に手を伸ばし乱暴に扱う…とっ掴まえて圧縮して干し首にしてハロウィン・ハウスの飾りにしてやりたいようなクソガキと馬鹿親が多かった。ちなみに性別は圧倒的に女。そうではない方の代表株が3歳そこそこの男の子(そーっと顔を近づけて溜息つきながら眺めていた。立派なモデラーになるに相違ない)だったので感心するやら嘆かわしいやら。かくて日本はオバサンばかりの国になってゆくのかのう。イヤなミニチュアだぜ。

 夕食に軽く蕎麦をたぐって帰宅し、録画しておいた特撮系を眺めつつ茶。
 新番組『アバレンジャー』は、状況やメンバーの個性(レッドが一番普通)を説明しつつ元気にスタート。主人公達に変身アイテムをもたらす浮世離れした(当然か)異世界人、変身こそできなかったがサブメンバーとして活躍しそうな爺ちゃんと女子高生のコンビも悪くない。ただ、番組開始時の情景描写にテーマ曲がかぶさって、台詞が聞きにくかったのがちと残念。
 『仮面ライダー555』は…なんか一種不条理劇の様相を呈しているような。特に主人公側の連れ2名は性格が極端に描かれすぎて不気味ですらある。みんなの幸せ教徒の宗教屋さんと噛み付き型自己中の娘さんですか?主人公の「他人と距離を置きたがる」傾向が当たり前に見えてきますぜ。また新・オルフェノクとして覚醒した娘さんも、周囲の苛めの構造に全く説得力が無い。いや、そりゃ苛め自体不合理なもんではあろうけどさ、家族までがアレってのは説明無しにやれるもんでもないでしょうよ。とっとと積み木崩し(古!)虐殺しない娘さんが不思議っすよ。
 ってことで今回もっとも「らしく」見えたのは、GSで代金踏み倒しがてに殺人やらかし、それを咎めた仲間を後で殺してしまうオルフェノク・サボちゃん(勝手に命名)だったかなと。人外の力を得たらそれを振り回したくなるだろうし、人並み外れたことでエゴも膨れ上がるのが平凡な人間ってもんだろう。しかしな〜、こいつが一番説得力ある状況って、やっぱどうかと思うのだけどね。

2月17日(月) 雪時々曇
 昼休み、例によってショッピングモールのゲーセンへ赴き、食前ハンティングを楽しむ。1/6サイズのゲーム機キーチェーンを待っているのだが見当たらず、代わりに『龍騎』のコレクタブルソフビ(1/12?)でタイガを狙ってコイン投入。試行錯誤の挙句、何故かベルデを手にしてその場を去る。ま、まぁ、R&Mで出てないマイナーライダーだから良しとするか。んで明日はマイナー繋がりでインペラーを狙うと!何とはなしに情けないが!

 ニュースサイトを眺めていたら、「世界初のクローン羊ドリー、6歳で死亡」の記事が。早期老化が指摘され、成熟した個体からのクローニングに警鐘を鳴らしたドリーだったが、平均年齢の半分ほどで肺を患い、安楽死させられたという。科学の礎として生まれ死んだ命に、感謝の念をこめて合掌。
 しかし研究所の所長が「肺疾患は高齢で屋内飼育の羊によくみられる病気」とコメントしたってぇのがどーも納得いかない。古式ゆかしきパソコン通信の常套句で言うなら「ソースは?」某ちゃんねる風にいうなら「ソースキボンヌ」…ってどっちにしても同じだけどさ、サンプリング可能な屋内飼育の羊がいったいどれだけいるっつーねん。あんなドタバタして小心で、そのくせ強情な生き物を室内で飼わねばならん状況がゴロゴロしててたまるか!<昔、羊飼いを数日やった
 とまれ、それは置くとして、ドリーの研究結果はクローン技術に大きな問題を提起したといえよう。どこぞの団体が先走って手をつけていいようなことじゃないなとしみじみ思う。まぁ昨今喧伝されていたアレは(証明を拒んだ時点で)どうせデマだろうが、内部的にそれを認めるわけもなし、とすると子供は「自分は平均寿命の半分で年老いて死ぬ」という考えを刷り込まれかねん。夜っぴて丘の上でベントラベントラ唱えて肺炎になろうが、目出度くやって来た異星人にどっかの星の食肉工場へ連れて行かれようがそれは個人の自由だが、他者の人格に傷を残しかねないこたぁマズいわさ。
 いや、クローニングに限ったこっちゃないけどね。

2月18日(火) 曇時々雪
 こんにちは、お昼のハンティングの時間です…と駆け出して行き、今日はファムをゲット。自宅にあるのがガイとライア、んで昨日獲ったのがベルデときて、マイナー繋がりがさらに深まった気がするな。もうこうなったら後はインペラー1本に絞っていくしか!
 とか微妙に情けない決意をしつつ、ついでにガシャポンなぞひやかしてみる。100円で「おでん」なんぞというものがあったので、数個ゲット。中身はコンビニ風のおでん容器とラベル、それに具が2個(片方は昆布)。出来はなかなか宜しい。
 ただ、僕の好みというか、こういうものを集めている相方のニーズにはちょっと大きすぎる気がしないでもない。コンニャクはまぁ良しとして、タコ足は…いや、スーパーで売ってる1本をまんま入れたらこうなるかな。そんなおでんがあるか!ってツッコミは置くとしても。何を置いても凄いのはタマゴ、1/6ドールと並べるとまるでダチョウの卵サイズになってしまう。残念ながらコレクションには向かないな。
 とか言いつつ帰宅後、作業机に置いてあるダチョウの卵の殻を眺め、ちょっとやってみたいかも、と思ったのは秘密だ。もちろん一度でいいんですけど。

2月19日(水) 晴のち雪
 今日の収穫はタイガと龍騎。後者はシリーズ第一弾が何故か入っていたものだ。バックヤードで居眠りでもしていたか。さっさと取れたので嬉しくなってインペラ−にも挑戦したが、これまでさんざんハズレ扱いしていた報いか、さっぱりかかって来ない。根に持つ奴じゃなかったんだがなあサノマン(笑)

 『N・A・S・A(浦沢直樹/著、小学館文庫)』を買う。初期短編集、何本かは以前に読んだこともあるのだが、こうしてまとめて見返してみると絵柄が着実に変わっているのに驚かされる。ほんとに初めの頃は、とり・みきと大友克洋の、それぞれ初期と似たような絵だ。つまり3人とも、絵ではさのみ個性やパワーを感じられるものではなかったということなんだが、物語の面白さはその時点で萌芽していたってことなんだよなあ。で絵のほうは、ただただ描きつづけることで個性を得たと。いままでの一生を通して継続できたものっていやぁ本を読むという習性(習慣や趣味ではない)の僕には、正直頭が下がるもんであるな。
 今日はまた『真夜中のデッド・リミット(スティーヴン・ハンター/著、染田屋茂/訳、新潮文庫)』の上巻を読み了えた。ミサイル・サイロ占拠事件をめぐる、老若男女さまざまな立場の人々の交錯。まるですぐれた指し手の棋譜をみるように、目の離せない展開である。このテンションが下巻まで維持されますように、そして願わくば、脳に背負い投げをくらわすような、あっと驚く終幕へ導いてくれますように。

2月20日(木) 曇り時々雪
 オーディンを捕獲。インペラーには逃げられまくる。こうなると意地でも欲しくなるのが我ながら困ったところではある。
 帰宅して、相方が手に入れてくれた食玩『懐かしのSFビークル』を開封。『スペース:1999』のホークとイーグルが欲しくて心待ちにしていたのだが、あいにくスティングレイと『ジョー90』の車2種というラインナップになった。明日以降に頑張ろう…って何をどう。>わし

2月22日(土) 晴のち雪
 久方ぶりに柚さんとオフ。気に入りの中国茶店へ赴き、ゆるゆると茶を喫しつつ食事などして日々の疲れを癒す。今週は仕事のほうでいろいろあって、控えめに言ってもムチャクチャだったからなあ。
 しかし柚さんは、僕など及びもつかぬほどの激職に身をおいているのである、さだめし休みを欲しているだろう、ここまで来るのも疲れたのじゃないかなぁと思ったのだが、さすがエネルギー変換効率が凡人とは違っているとみえ、しばし休んだらもう立ち直って百均ショップへ踏み込んでいった。また手にしてきたのが文庫用のケースを山ほどときて、さらに驚嘆するばかりであった。ちなみにその後さらにゲーセンでストレス発散を忘れなかったことも付記しておきたい。
 帰宅後は彼女が貸してくれた数点のメディアのうち『世界のCMフェスティバル2001 第1部』を眺めつつまたお茶。桜餅に中国茶というのも、意外と合うもんだ。
 それはさておき、このDVD、以前からちょいと気にはなっていたんだが、期待を裏切らない面白さである。「あの国でこんなCMが?」と意外性を楽しむもよし、ヘタな映画より金と手間をかけられてそうなドラマ仕立ての先を読むもよし。後者に関しては製品なんぞどーでもよくなるものが多々見られるのは否めないが、まぁそりゃ僕らの知ったこっちゃないな。特に面白いのはスポーツ用品(インターナショナル仕様とあって誰でも楽しめるようになっている)、ビール、それと鮭を材料にした缶詰と、アメリカのインターネットビジネスものだろうか。特に最後のは、馬鹿ネタを作り込みまくることで妙な気迫さえ感じさせる説得力を持っている。EDSが何をしてる会社かは忘れても、このCMは忘れられないだろう。いやはや。
 もちろん退屈なもの、不快なもの、理解しがたいものも見うけられるが、それもその国のコマーシャル戦術として生きている国民性の一部なのだと思えば興味ぶかい。弁士が必要になりそうなユーゴスラヴィアの初CMなんてのは別だけどね。なんせ1926年だってさ!『広告時評』の編集長ぐらいしか生まれてないぞ!<すげー失礼

 『真夜中のデッド・リミット(スティーヴン・ハンター/著、染田屋茂/訳、新潮文庫)』下巻読了。面白かった。
 ミサイル・サイロを巡るテロリストとの攻防、知力体力を尽くした戦いの帰趨はいずれに?というのが大筋なんだが、実のトコ、シチュエーションや展開、クライマックス・シーンはステロ・タイプといってもいい。特にパスコード入力シーンなんかは映画並みの陳腐感さえある。
 目をひきつけ心をとらえるのは緻密に描かれた登場人物たちの思いやその行動だ。敵のリーダーと頭脳で戦うサイロの設計者、最初は何の関係があるのか分からなかったKGBの窓際族、かつてベトナムでトンネル・ネズミだった2人の人物、先陣を切らされた州兵たち、攻防の中で抱える羽目になった罪の意識に押されるまま死地に赴くFBI職員…といった、「職業軍人ではない」人々ひとり一人の運命に、いちいち感情移入させられちまうんだよなあ。ここらはもう作者に負けてるといえるだろう。ええと、浅田次郎読んで「そうはいくか」と思いながら泣いちまうのに似てますな。<素直に読めよ
 また、この話は徹底的に軍人をカリカチュアライズしており、そのことが現実世界に今及んでいる危機をも皮肉に眺めさせる面がある。業火の中に世界を落とす瀬戸際で戦闘そのものに酔いしれる者たちの度し難さ。一方の「力」を作り出した男が一人残ってかみしめる虚しさを、願わくば誰も選択しませんように。

2月24日(月) 晴
 帰宅途上、相方と待ち合わせて駅前探索。主なターゲットは彼女のお人形関係だったのだが、あいにく収穫はなし。そこで索敵モードを広範囲に切り替え、食玩やキャラグッズの豊富なLoftの地下へ突入。案に相違してガシャポンが豊作である。といっても我が家のニーズに合いそうなのは「ロード・オブ・ザ・リング」のミニ胸像と、ドールサイズの野菜ぐらいなもんだが。
 さて出来のほう、前者は造形がいいが塗りが悪い。中学生が学校祭用にポスターカラーで描きました〜みたいなベタ塗りで、約1/12サイズにもかかわらずそれなりに似せているディテールを台無しにしている。ブロンズ調のほうがお買い得といえよう。
 後者は、形・塗りともに悪くない出来栄え。ブロッコリーやカボチャは1/6ドールに持たせてもいいサイズでねこまには好評だった。ただ、種類ごとにスケールがマチマチなのが痛い。カボチャよりでっかいサヤエンドウは勘弁して欲しいぞ。「これはソラマメだソラマメだソラマメだ」ってぇ自己暗示にはちょっと無理があるし。
 書店へ立ち寄り、ふたりともに待望のキャロル・オコンネルの新作を買って帰宅。本来ならヒエラルキーのなせるわざによって相方の手に納まるところだが、こないだまで読んでいた『真夜中のデッド・リミット』に予め取り掛からせておいたので、これは僕が先である。げに戦略の勝利であるな!<嘘



翌月へ




[ 銀鰻亭店内へ ]