店主酔言

書籍・映画・その他もろもろ日記

2005.7

 

 

 

 

 

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7月5日(火) 雨

 ひさびさの雨。しかも終日降り止まぬ。雨が降ります雨が降る。できればおうちで遊びたいが、ままならぬは宮仕えの身、靴を濡らして出社するのであった。やろうと思えばオンラインでできる仕事なんだけどなあ。ああ、めんどくせ〜。

 というような気分のせいかさあらずか、読み終えた『アトランティスのこころ(スティーヴン・キング/著、白石朗/訳)』がどうにも愉しめなかった。まあ、もとよりカタルシスのあるような話ではないけれど『スタンド・バイ・ミー』『IT』あたり(いやいや、短編『やつらはときどき帰ってくる』に遡れる)からこっち手擦れのした感がある設定を集めた少年期回想モノから次々とタームを移行していくのが、序盤でファンタジーを振りかけといて続く時間軸ではそれをすっぱり捨ててるあたりでどうにも連続性が保てない。いや、その外縁部にいた人間たちを辿りつつ時の流れをくだる、いわば螺旋状の構成は面白いのだけど、視点がかなりの長距離をこともなげに跳んでくれるものだからふとした集中力の切れ目が縁の切れ目、いきなり置き去りにされる気がするのだよな。
 それに、フリカケそのものが日常の細密描写を至芸とするキングの語り口と合わない気がするファンタジー『暗黒の塔』シリーズときてるもんだから、そこでまた興が削がれる。読者サービスなんだろうけれど、中途半端な思わせぶり風味はどうにも舌に馴染まない。どうにもどうにも。にっちもさっちもどうにもブルドッグ。わお。<アタマ大丈夫かよ
 人の世に日常に異物が飛び込んできてざっくりばっさり破壊しようと、崩壊しゆく精神をネチネチジトジト描こうと、理不尽きわまる出来事に罪の無い者が踏みにじられようと、昔の作品にはそれを読者に納得させるだけの積み上げとそれによる押しの強さが、パワーがあった。しかし本作において、ゴールディングやスタインベックを抜きにしてそれが出来るとは思えない。いっそ作中作でオリジナル1本上げてくれてたほうが面白かったと思うんだよなぁ。切れ味するどい過去の短編集でも読んで、ダルくなった脳を叩きなおすとするか。


7月7日(木) 曇時々雨

 織女牽牛の年に一度のデート日だというに、雨のチラつく灰色の空。その祟りかあらぬか、あっちこっちでナンダカな出来事が頻発。
 まず朝っぱらから会社でゲットしたスパムのサブジェクトが「心の隙間→お埋めいたします☆」って某せぇるすまんの見習いかと。かと思うとmicky_and_minnyなんて、著作権ロビイストの親玉に暗殺されそうなアカウントからも来てるし。ナンダカなぁ。
 うんざり気分でニュースサイトを見に行けば、サミット会場敷地内で自転車乗り回していて、警備の警官に衝突したヤツがいたという。誰かっつーと某国の大統領閣下。コケるんならホワイトハウスのお庭で好きなだけやりゃーよかろうに、ナンダカ以下略。
 で、夜に入ってTVで『フレディVS.ジェイソン』を観る。内容がナンダカなのはこの場合お約束だから拍手して眺めるとして、途中に次週以降の放映予定の番宣が入ったのだけど、それにいわく「闘魂祭第二弾・第三弾」。
 て…なにかね、第一弾は今日のコレなのか?どこらへんに闘魂が?そもそも闘うのが目的じゃないし、魂なんざぁ捨ててませんか二人とも。ナン以下略。

 とか言いつつダラ見してたニュースで、ロンドンがテロの惨禍に見舞われたと知る。流石にこういうのは「ナンダカ」レベルじゃない。せめて犠牲者の少なからんことを。


7月9日(土) 曇

 ふらり立ち寄った書店で、『バルサスの要塞(スティーブ・ジャクソン/著、浅羽莢子/訳)』を新刊の棚に発見。えええっ?
 今を去ること20年ばかり前、サイコロ遊び(博打じゃないのよ)と並んでハマったRPGゲームブックの1シリーズ、装丁こそ変わっているが中身の文体は同じ。ふーん、この方が訳しておられたですか。その後いろいろお世話になってますなあと思いつつ、脳裏に「バルサス・ダイアその人である」の一言が懐かしく行ったり来たりしてしまった。あの頃ともにハマった仲間の間で、妙に流行したからねぇこのフレーズ。あと「呪文石」ゲームとか。
 どうやらシリーズも復刊したようだが、うちの書庫にはまだ旧版が眠っている筈。そういえば『城砦都市カーレ』シリーズとか、『デュマレスト・サーガ』やら『グイン・サーガ』やらのもあったように記憶している。この週末に余裕があれば掘り出して、久方ぶりの旅路についてみるか。コマギレの時間で読むと帰ってくるのが大変そうだから、用心せねばならんけどね。


7月10日(日) 雨

 早起きして書庫/作業部屋/物置の片付けをするうち、写真の入ったデカい紙袋を発見。つか発掘。被写体は主として猫ばかり、ようもこんなに撮ったもんだ。同居猫、自宅を通過していった猫のほかに、どこの住人か分からない謎の猫なんかも混じってるからなあ。

 呆れつつ本の山をあっちへ動かしこっちで積み上げしてるうちに腹が減り、相方をたたき起こして近所の蕎麦屋へ。最近アレルギーで涙ボロボロ、マクベス夫人のように顔を洗いまくってる相方だが、大好物の蕎麦だの海老だのがアレルゲンでないのはまだしもか。
 ねこま「マクベス夫人をアライグマみたいに言うな〜」
 ちなみにここの蕎麦屋では、期間限定メニューとしてエゾシカ肉を出している。増えすぎた鹿の駆除を無駄な死体の山にせず、また収益の一部を被害森林の植樹に寄付するという「人造生態循環」みたいなユニーク取り組みでもあるそうな。
 甘辛く煮た鹿肉はサッパリしていてたいへん美味。「旨いはずよ、命を喰うのサ」とは杉浦日向子氏の筆になる北斎の台詞だが、まこと至言であった。

 午後に入って雨脚は急速に強まり、ちょいと外へ出たくない状況に。朝の写真を整理して1日を過ごす。自分でスキャニングしようかなと思わないでもなかったが、所要時間を考えるとネガのデータ化サービスを利用したほうがよさそうだ。かくて不要な紙焼きやケースをゴミ袋に詰め込み、環境悪化にまた微力を注いでしまう。うう、申し訳ありませんです。


7月15日(金) 晴

 退社時間のどたばたの中、小耳に挟んだところによると「火曜サスペンス劇場」がこの秋で打ち切りになるらしい。原因は視聴率の低迷とか。まあ、僕が知ってる限りでも、20年このかたワンパターンを続けていたもんなあ。時代劇のそれは「お約束」として許容されるだろうけど、サスペンスやミステリで意外性が無いってのはギャグにしかならん。むしろ、今まで続いていたのが不思議なぐらいだ。
 しかし、この番組が無くなると困ることが1つだけある。お気に入りの「火サス」Tシャツに説明が必要になることだ!って、こういうモンのネタになっちゃうほど、もう様式化してたってことなんでしょうが。

 『ランクマーの二剣士(フリッツ・ライバー/著、浅倉久志/訳)』読了。これまたほぼ20年越しの、こちらはひたすら待ち続けたシリーズの最終巻。いや、原作はこれで終りじゃないんだけど、版元としては5冊で企画してたんで、この先には付き合う気は無いらしい。人生の半分も待ってたんだぞ、もう少しサービスしろ!と叫びたい気がしないでもない、ペーパーバックを取り寄せて読んだ部分が訳者氏の足元にも及ばなかった文才乏しい身としては。
 さて本編、海と異国と大都市ランクマーおよびその地下世界を股にかけ、主人公コンビが大活躍…なんだが、例によって女好きその他の欠点まみれな2人ゆえ、手に汗握る未曾有の危機もどこかスラップスティック調。前半登場の部外者も含め、うっかり同行気分になった読者としては「お前ら真面目にやれ!」とツッコみたくなる箇所だらけ。いや、そここそが面白いんだが。
 ついでに一種淫靡な雰囲気も絡ませつつ、二転三転して辿り着く終幕まで、大いに楽しませてもらった。待った甲斐はあったなあ。いや、十全に楽しむにはこの年齢で読めて却って良かったのかも知れない。精神力を奮い起こし、横文字での続きに取り掛かってみるか。


7月17日(日) 晴

 先日TVで放映なった『スターウォーズ エピソード2』を観たので、残ったブランクを埋めるべく『エピソード3 シスの復讐』を鑑賞。
 んーむ。これは、その、なんというか…巨費を投じたCGまみれのストーリーボードですな。旧三部作、つまりエピソード4〜6の、単なる前フリに終わってるんじゃないかと。
 まず全体に、観客を引き込む力が乏しい。派手なシーンは多々あれど、例えば『指輪』のように手に汗握ったり涙を絞らされたりということがない。どこを切ってもひたすら派手派手派手派手派手派手派手!の金太郎飴、却って平板になっちまってるんですな。
 んでストーリーはというと、4〜6のルークを中心にした物語と違って、これまた感情移入できにくい。行く先がアレだと分かってる以上そりゃ明るい話にゃなりようも無いけれど、暗いなりにきちんと描けばいいものを、とにかく粗いもんだから「かくてダース・ベーダー出来上がりけり」の単なる説明にしかなってない。監督や主演のインタビューでは悲劇性を喧伝してるが、いかんせん「いかに優れた人物であり、本来ならば正道を歩んでいた筈」の描き込みが少なすぎ。幼少時の4はともかく5と6の主人公は、言動のどこを取っても落ちるところへ落ちて当たり前のクサレ小僧、どう見ても予定調和だ。
 才能を鼻にかけて師匠の注意に軽口を返し、戒律を破っては己を正当化しつつそれを隠し、挙句己の意が通らないといってはゴネるわ逆ギレするわ。そのくせ意図的に反旗を翻すでもなく、状況に文句をタレながら流されていくだけ。これにパダワンとはいえライトセーバー持たせてるのだから、ジェダイなんざぁユルいもんだ。全般にその傾向があるようなことは2でチラリと語られていたけれど、それを自省できない時点でマスターたちの目も節穴だし、まあ滅びて当たり前ですな。
 観客の心情に訴えるほどの悲劇性を帯びているのはアミダラぐらい。それとても「男を見る目がなかったんだねえ」という、おおよそ凡百の悲しみでしかないのだけれど。
 ラストシーンで夕陽を眺める夫婦と幼子の風景に、いずれ重なる未来の情景を思ったのが唯一の感慨であったか。そう、10数年後あそこで叔父さんと叔母さんは…って、ヤな感慨だねヲイ。


7月21日(木) 晴

 ふと立ち寄ったニュースサイトで、ジェームズ・ドゥーハン氏の訃報を知る。『スター・トレック』最初のテレビシリーズのスコット機関長、日本語版ではチャーリーと呼ばれた彼もはや85歳。さらぬ別れと知るべきなのかもしれないけれど、だからって創造者やドクターに続いて彼が去ってしまったことを悲しむ気持ちが消えるわけもない。TMP4での「コンピュータ?」と首かしげたキュートなおっさんぶり(失礼)を思い出しつつ、感謝をこめて、合掌。

 そういえば、我が家の魔窟、書庫・物置・作業部屋を兼ねたあの部屋には、かなりな量のスタトレ関連書籍が眠っている。ムービーコミックとかノヴェライズとか、和洋取り混ぜてデカいダン箱1つ以上あるけれど、スペース確保のため他の本をがんがん処分していてもこれらは絶対手放せない。特にブループリント(設計図ね)とかテクニカル・マニュアルとかメディカル・リファレンス・マニュアルとかの作中アイテム系は今も宝物だ。中学生のみぎりにせっせとバイトして買ったって愛着もあるけれど、こういう「想像力だけ」でリアルっぽいものを作るという行為そのものが好きなんだよなあ。
 …なりきりグッズのハシリにハマったと言われればそこまでですけどね。これがマニアの生きる道、放っておいておくんなせぃ。


7月22日(金) 晴

 昨日のスコッティの訃報に肩を落としてたら、相方が朝から追撃をくらわしてくれた。『燃える男』以下クリーシィ・シリーズの生みの親、A・J・クィネルが亡くなったという。マルタ共和国・ゴゾ島で10日…はさておき、享年65歳は早いよなあ。まだまだ面白いものの書ける年齢だろうにと、天を恨むことしきり。肺癌ってぇ原因がもし喫煙ならば、ご本人に文句を言いたいぐらいなモンだ。まあ、だとしたら、せめてのことにご本人には悔いは残らなかったかもしれないのだけど。

 通勤電車の往路で『新聞をくばる猫(リタ・メイ・ブラウン&スニーキー・パイ・ブラウン/著、茅律子/訳、早川書房)』読了。
 田舎町のボーダレスな厭らしさが少なめになり、キャラクターたちの個性もある程度角が取れて読みやすくなっている。鬱陶しい恋愛模様が脇になり代わってクローズアップされてる動物たちの探偵ぶり(と人間のかみ合わなさ)はかなり楽しいし、話の展開も飽きさせない。難を言えば犯人が見えみえなことだが、事件同士の関連性やホワイダニットを楽しめばいいことか。次作もこの調子だと嬉しいな。

 昼休みコンビニで『鋼の錬金術師 11(荒川弘/著、ガンガンコミックス)』をゲットし一気読み。相変わらず読ませる!上手いよなあホント。
 腹黒いのか情に篤いのか謎めかしたまま天然系ギャグはしっかり決める父親の登場から入って、苦衷の中で掴み取る往くべき道、ふたたび始まる(今度は自ら仕掛ける)戦いの幕開きまで、読み手に気を抜かせない。が、スピーディーな話運びの傍らで「死」というものや過ぎた時間の取り返しのつかなさを静かに切なく散りばめるあたり、まこと巧者としか。見出した答への筋道でさりげに過去を振り返らせ、脇役ひとりも無駄にしていないのも好ましい。
 脇役といえば、個人的には気になってた監察医のおっさんが、やっぱりワケありだったのにもニヤリ。こういう腹の裡を見せないキャラクターって好きなんだよな〜。ヤツらに目をつけられない程度に頑張ってください。
 ただ、ちょっと気になったのだが、今回なんだか絵柄が変わってきていないだろうか?線が整理され綺麗になり上手くなってきてるのはあるけれど、それだけじゃなくキャラクターの骨格(つーか目鼻のバランス)がちょっとずつ違ってきてる気がする。育ち盛りの主人公のラインが作中で変化するのも、外なる描き手のタッチが変わってゆくのも当然だけど、好きな話は気を散らせずに読みたいな。


7月24日(日) 晴

 相方がピックアップしてきた猫関係の本を2冊読む。残念ながら、どっちも不作。

 『猫は日記をつける(リリアン・J・ブラウン/著、羽田詩津子/訳、ハヤカワ文庫)』は「シャム猫ココ」シリーズの主人公、クィル・ペン氏の日記としてものされた一冊。さすが作者、上手になりきってる…のだが、内用は単に過去作を振り返るだけなのでシリーズのお浚いにしかならず読みどころが乏しい。日曜朝の特撮で夏休み時期にやるソレのように気が抜けてて「だから何?」としか。どうせならちゃんとストーリーを組み込んでくれれば、一人立ちした作品になったものを。

 いま一つは『私は猫ストーカー(浅生ハルミン/著、洋泉社)』。猫好きのイラストレーター氏が野良や外猫を訪ねて歩いたレポートだが、同好の人間なら誰もが多少はやってそうなレベル、目新しいものは無い。猫に関する知識も然り、かといってそれを興がらせるほど書き方に際立ったものもなし、Webを30分もウロつけばもっと面白いブログは山ほどある程度。どういうターゲットに向けて書いたのかな?と思ったら雑誌のコラムだったそうな。まあ、他の記事の中にあればそこそこ楽しく読めたのかな。

 夜、ここしばらく調子の悪かったPCの復旧作業。いきなりフリーズしたりシーク中に異音が発したりという状況から、メインHDDの不具合と考えて新しいのを買ってきて付け替えたのだが、そいつにOSを乗せていざネットへ接続したところで再発しやがった。もしかしてマザボですか?と泣きながら検証作業へ。MX133&メモリ40MBのノーパソ(愛称らっちぃ、OSは98)を立ち上げて必要最小限の用事をこなす。ええ、この日記です。そうまでして書くようなモンでもありませんけどねちくしょーい。


7月25日(月) 曇時々雨

 ここしばらく好きな役者とか作家とかが彼岸へ旅立ってしまうこと多く肩を落としまくっていたら、今日は更なる猛打撃をくらった。
 杉浦日向子さん、死去。
 「隠居」される前のコミック作品がとにかく好きで好きで好きで、爾来の江戸趣味を全てあのグラフィックに置き換えるぐらいだった。『百日紅』は今も座右の書だし、北斎翁のキャラクターはもうデフォルトとして頭に焼きついてる。
 ほのぼのと暢気な江戸人を描いたかと見るまに四十七士の現実を酸鼻かつ冷静にリポートし、かと思えばぞわりと首筋そそけだつ怪異を語り聞かせるという巧者ぶりは他の誰にも真似はできまい。都筑道夫氏の『なめくじ長屋』ファンとしても同好の先達、センセー宛の恋文(巻末解説文)を読んで以来は、その艶っぽさと歯切れのよさに憧れの君でもあった。
 …いやいやあの方はきっと現世に飽きられ、本来の住まいなる江戸へと還られたに違いない。無理を己に言い聞かせて、夜闇の彼方へ合掌。


7月28日(金) 曇のち雨

 『死体が語る真実(エミリー・クレイグ/著、三川基好/訳、文春文庫)』読了。法人類学者として幾多の死体(というか人骨)と対峙する状況は地道でありながら流石に臨場感あふれる面白さ。衣服も所持品も無い、ただ骨のみから身元を特定する過程は、下手なミステリなど足元にも寄らせぬ推理の妙味だった。
 それに医学イラストレーターとして一線にありつつ齢40を越えて司法の世界へ転身したという履歴もさりながら、その年齢のしかも女性の身で、急流の岸や崩れかけた廃坑へと事件のためなら命懸けで赴くバイタリティが素晴らしい。まこと事実は小説より何とかや、ファンになっちゃいますぜクレイグ先生。
 ついでに、事件ごとに添えられる小さなエピソード類も精彩豊かでユニーク。特に、ある事件の被害者を探していたら無関係な死体が3つも発見されてしまったというブラックな話には、関係者の渋い顔が想像されるまま、こちらも苦笑してしまった。どうなってんだよ、おい。

 ただ、巻末最大の事件、かの「9.11」にまつわる辺りを読んでいて、何とも遣り切れない気分になった。確かに無辜の人々の存在が抹消された悲劇はあり、警察・消防・レスキュー・ボランティアそして検死に携わる人々が力を合わせてかれらを家族の元へ帰そうとした事実は感動的だ。けれど、記録に残らない人々、貧困層や密入国者として下働きしていた人々は跡形なく消えたままと耳にしたことがある。
 それに、同じように(米国が撒いた火種のゆえに)今なおテロリズムに晒される国の人々には、こうしてのべられる手は無いのだ。良いことならば大概はゼロよりは1でも無いよりゃマシと考えるお気楽人生な身だけれど、かの国にこそ10人20人いやいっそ100人ものクレイグ先生が生まれることを願ってやまない。
 …いや、本当は鑑定すべき死体なんか無くなるのが本筋だけどね。


7月31日(日) 晴

 『ニセモノ師たち(中島誠之助/著、講談社文庫)』を読む。
 「いい仕事してますね〜」の台詞で有名な骨董商氏をTVで見た時、なんとも不思議な印象を受けた記憶がある。言葉を選ぶ語り口あくまで優しく穏やかだけれど、いろんな物事の裏側を見て場数をしこたま踏んで、めったなことでは動じない、したたかな人物のゆえではないのかと。作家で言うなら浅田次郎、占い師なら宣保愛子。商売ごとに取り組む態度は敬いたいし興味津々だけれど、目の前にいたら話しかける度胸は出なそうだ、と思ったものだ。
 で、その印象がどうやら正しかったというのがこの本。かの語り口の裏に潜ませた真意を明かしつつ、骨董界にうごめくニセモノ師たち、それもそこらでガラクタを素人に掴ませる詐欺師なんぞとは桁違いの「本物を知り尽くした者同士」の手管や仕掛けをつぶさに語るのだから、面白いのなんの。本物と見まごう贋物に飽き足らず、オリジナルを作ってそれが何も言わずとも受け入れられてしまったりするんだから、もう何がナンだか、谷川俊太郎の「ニセモノ」の詩が頭の中でぐるぐるしそうだ。そうして始まる数寄者同士が火花を散らすようなコン・ゲームは、扱われる物に興味がない向きにも十分に楽しめると思う。まして、古道具古物骨董から遺物遺構の類に至るまで古いもの大好きな者には堪えられない。
 また、ともに記されている氏の半生もドラマティックとしか言いようがない。生まれ育ちもさりながら、今の容貌から推してもハンサムだったろう若かりし日の出来事は下手な小説を寄せ付けない。あまりの出来っぷりに、よもやこれもフェイク…いやいやいや、流石にそれはあるまいが。
 ニセモノは所詮それだけのものと切り捨て、引っかかる者の欲を恬淡として論うくだりは、冷たく感じる向きもあるかもしれない。しかし、そう言いながら、一定の距離をもって本物も偽物もしっかりと見つめているこの人は、まだまだ熱さをもって骨董に対しているのだと思う。そういえば以前レギュラー番組で、景徳鎮のニセモノを前に得々と語るオッサンに非常に厳しく、ほぼ叱責口調で正しにかかったのを見たことがある。ニセモノだらけでもその世界が好き、ゆえにニセモノの名にすら値しない不出来なモノ(と不出来な買い手)が許せなかったんだろうなあ。

 ときにこの本の内容、結構ネットワークとも相通じるところがあって面白かった。欲をかいて警戒心を無くすお馬鹿さんとか、ものごとの道理も値打ちも分らんヤツとか教えてちゃんとか、いずこも同じなんだなぁと苦笑いさせられた。いや、実社会ももちろん同じなんだけどね。


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