店主酔言

書籍・映画・その他もろもろ日記

2005.12

 

 

 

 

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12月2日(金) 

 小説家をして「現代の語り部」というコピーをまま見かける。美しい表現である。
 がしかし、僕がかれらに望むものは、まず「騙り部」としての巧みさだ。こちらの興味を惹く言葉をさりげなく散りばめた小道から底知れぬ森の深みに紡ぎ上げた迷宮へと誘い込み、はたと気付けど帰る道なし、いいように酔わせ引き回しきりきり舞いさせ、最後の最後であっと驚くばかりの陥穽へと突き落として脳髄に巴投げを食らわせてくれる作家こそが、僕にとっては至上なのだ。
 ところが、意外性がカケラもなくても見事にこちらの感情を騙くらかしてくれる作家がいる。オチが読めてて「どうせ**が**になって最後は**泣かせにくるんだろ?」と筋道まで見えてるのに、悔しいかな、いつも涙腺を決壊させられる。浅田次郎、失礼な表現とは思うが、地団太踏みたい心境のままに言わせてもらえば、あざといジッサマだ。
 さて、今回は『沙高樓綺譚(徳間文庫)』。
 オビに「ミステリー」とあるが、これがジャンルを指すのならまったくのお門違い。ミステリも無いではないけれど、どうみてもファンタジーあり、タイムスリップSF(いや幽霊話なのか?)ありサイコホラーあり、もちろん著者お得意の情話もあったりで、ノンジャンルな短編集だ。で、個々の物語でありながら、とある場所に集まった人々が次々口にする一人語りとして色調をととのえられている。百物語好き、クラークの『白鹿亭』などの倶楽部夜話が大御馳走というテにはこたえられない味付けだ。しかもさらりと語られる場所も雰囲気たっぷり、過去の名品に比してもなかなか。
 エピソードで一番の好みは『立花新兵衛只今罷越候』。理想なかばにして刃に斃れた男の夢か、いくさに身命を捧げねばならなかった悲しい役者の思いが姿をとったか、はたまた映画にそそがれた人々の心血が凝ったものか。いや説明なんぞどうでもいい、それが確かに誰かに受け止められたという救いは、よしんば現実がどうあろうとやさしい物語だ。
 また、半村良の名品『箪笥』を思わせる老婆の語りは、お題が美しくととのえられた庭園であるだけに不思議な効果。幅広く傾けられる薀蓄の中でも、この話でのそれは情景まで活き生きと読み応え十分だった。
 で、ここに至ってはたと気づくに、あろうことか意外で、かつ普通に面白いではないか!ちくしょう、またヤラレた、泣かされるかと思って身構えてたのに。


12月8日(木) 晴

 『鉄腕バーディー 11(ゆうきまさみ/著、小学館)』を読む。
 表紙で戦中派(なんだよなこの人)が不敵に微笑む今回、握手の陰で調えられてた白刃がずんばらりんと戦いの幕を切って落とす。同時に復活のオンディーヌちゃんが向上した性能を見せ付けてくれる…のだけど、巻末のオマケを読むともうこの子がマトモに見られません。つーか無言の脅威としてヒロインを圧倒する姿を見つつ「ちゃん」付けで呼んでしまってますがな。妹萌えだったのかわし。
 とと、僕の属性はさておき、いよいよ戦端が開かれたとはいえ前哨戦、それも狭い施設内に限定してという設定で、かなり抑えて描かれてる。来るカタストロフの大きさを予感させるこの間合いの詰め方は筆者一流のものがある。がしかし、コミックス派はあと数ヶ月この記憶を抱えて待たねばならないワケで、読後にはじれったさがずっしり残るのが辛いところ。話が広がる一方の宇宙人の勢力争いも気になるところでお待たせモードだし、いっそ買うだけで読まずに積んでおいたほうが気楽かもしれぬ。いや、そんな我慢はもとよりできませんけど。


12月11日(日) 晴時々曇

 『翼のある子供たち(ジェイムズ・パタースン/著、古賀弥生/訳、講談社)』読了。
 人為的に造り出された生命体が逃げだして創造者に追われ、何も知らぬ一般市民と出くわす…というのはメアリ・シェリー以来の伝統芸だが、その生き物をどう描くかで話の持って行き方があらかた決まってしまう、難易度の高いシロモノである。
 まず、邪悪な化け物がジワジワと町に迫って人間を襲い、大立ち回りの末に弱点を見出され滅ぼされるというのがパターンの一つ。あ、一部がこっそり生き延びてパート2が作られるってぇのもお約束のうちですな。
 かたや、その被造物は人智を越えた能力の上に純真無垢だったり美しかったりしつつ、マッドサイエンティストとその手先に追い詰められ、単独で生き延びることが難しい状況に立たされていて一般市民に助けられるというのがもう一方の筋道。こちら主体ではあるけど前者をもともに描ききったクーンツの『ウォッチャーズ』を除いて、昨今の主流は概ねこちらになってるのじゃなかろうか。ぶっちゃけ、そっちのほうが書き易いだろうし。
 で、本作もそのお約束を踏襲した一編である。まさに天使のような金髪の美少女が白と銀の羽根で自在に飛び回って悪党どもから逃げてくるってだけで、どこのお伽噺かポエムですかって設定じゃないか。ベタにするにもほどがある、と鼻で笑いつつ手にしてみたのだが。
 あにはからんや、これが結構面白いのである。
 遺伝子操作によって生み出された少女が持ち合わせた、ヒトと異なる身体構造、仏教彫刻の迦陵頻迦のようなイメージが、気持ち悪さと美しさをないまぜに覚えさせるほどきっちり描かれているというのがひとつ。またそのゆえと生育環境のために少しく違うメンタリティをもつ部分と、ごく普通の子供の生意気口がしっくり馴染んで同居しているキャラ立てが上手いのだ。
 そして、話の運びもまた然り。流れそのものは大いに「お約束」なのに、勢いのよさ持って行きようだけで一気に終幕まで読ませてしまう。語り手役のヒロインとその恋人がコッテコテのステロタイプで興を削ぐのに、これは結構凄くないか?いっそこういう邪魔な要素をとっぱらってジュブナイルに書き直したらイケるんじゃなかろうか、と思ったら、続編はまさに児童向けに書かれているとか。俄然そっちが読みたくなってきたな。


12月14日(水) 晴

 久しぶりにリアル本屋へ足を踏み入れ、諸星大二郎描く異端の考古学者・稗田礼二郎のシリーズが文庫でぞろっと出てるのを発見して欣喜雀躍。ジャンプコミックス版『妖怪ハンター』からのファンだが、長の年月あちこちの雑誌を主人公よろしく放浪してる作品なので、読みこぼしがかなりあるのだ。嬉しさのあまりクトルーちゃん化して「テケリ・リ!テケリ・リ!」と叫びつつレジへ走って行ったとしても咎められまい。<いやそれ以前の問題が
 『妖怪ハンター 地の巻』『同 天の巻』『同 水の巻』(いずれも集英社文庫。収録作品については公式サイトあり)を一気に読む。
 面白い。1冊目などほとんど再々々々々々読なのに、ひとコマごとに追ってじっくり読まされるほど。「海竜祭の夜」のおぞましさ「闇の客人」のあわれをもよおすやるせなさ、「幻の木」の不安感、どれもこれも背骨の後ろ側からぞわぞわと迫ってくるものがある。
 それにしても不思議なのは、僕はコミックでは基本的に人体の造形がくっきり描かれているタイプが好きなのに、この作者はその正反対だということ。ゆらめく線おぼろな輪郭、ふよふよと頼りないかと思うと湿気を帯びた軟質の重みがずしり迫ってくる、ぶっちゃけ心地よいとはいえない世界なのに離れがたいものがある。いまだに怖い漫画ベスト5に入ってる「不安の立像」なんか、ひところは本を開くさえ寒気がしてたのに、繰り返し読んじまってたものなあ。怖いもの見たさという言葉がこれほど似合う作家もあるまい。
 沢田研二主演で映画化された頃のエピソードに楽屋オチが入ってたりというくすり笑いもまた楽しい。ただ「花咲爺」あたりから最近の話にかけて、どんどん主人公不在になっているのがちと不満。もとより稗田は観察者だけれど、超能力少女をメインに据えて活劇タッチにし、最後にコメントを添えるだけでシリーズに加えちまうのはどういうもんか。最近ダ・ヴィンチ誌に連載の作品ではそのへんが払拭されてるのを期待しつつ、新刊を求めて今度はネット書店へ旅立つ妖怪ハンター・チェイサーではあった。

 ときにこの文庫を手にするまで知らなかったのだが、この秋公開されてた映画『奇談』って「生命の木」が原作だったのな。ポスターを遠目にちらと見るぐらいしか接点が無かったんで、完全ノーマークだったのは痛恨の極み。なんつったって学生時代、SFゼミを名乗る同好会仲間と、酒が入れば必ず「おらといっしょにぱらいそさいくだ!」と叫んでたほど好きな話だったのだ。好きのベクトルと表現の方向性が著しく異なってるのはさておくとして、この映画はいつか必ず目にしなくてはな。


12月17日(土) 雪

 朝のうちチラついていた雪が、昼前あたりから勢いを増した。繊細緻密な白い造形物が、ふわーりふわーり間断なく降りしきる。見上げる空も地面も真っ白で、そこらの建物の色彩が妙に鮮やかに目に映り、ようやく本格的に冬がきたのだな、と安堵めいた心地する。
 がしかし、今まで降らなかった帳尻合わせとばかり、夜まで延々降り続けられたものだから、家への道がえらいことに。クリスマス前はこんなとこで勘弁しといてほしいなあ。

 ネットをウロウロしていたら、プロダクト・エンタープライズ製のドラキュラ伯爵フィギュアが投売りされているのを発見。去年の11月に大はしゃぎで購入、いまも机近くに飾ってあるヤツだ。ラッキー…いやいやいや、おいたわしい限り、即刻引き取って後顧の憂いなくノーマル顔に改造して差し上げねば。<そっちのがいたわしくないか。
 ところで製造元、エリス中尉はいまだに企画中のままですか。製造中のヤツはちょっと表情のあどけなさが足りないと思います。中学生の僕を魅了し去ったあのでっかくてもの言いたげな瞳こそがポイントと信じておりますので、ぜひ宜しくお願いします。


12月23日(金) 晴

 年末前の休日をゲット、とはいえねこまが仕事なので、小人さんに変身しせっせと掃除に勤しむことに。床に散らばったアレとかコレなブツを片寄せ(注:片付けてません)棚の埃をブロワーで吹き飛ばし、さて床を掃こう…としたら、あろうことか掃除機のホースの根元がぱっくり口を開けているではないか。こりゃあ大変、さっそく集塵機に転用だ!
 と思ったが、相方が帰ってきて何と言うか、いや何をするかは想像に難くない。とりあえずガムテープで応急修理をほどこし、掃除を続けることにした。年明けにでも新しいのを買って、こいつを集塵機にできるよう、サンタさんにお願いしとくか…寒いうえに良い子以外のお願いってことで、あっちからも足蹴にされそうな気はするが。

 とかなんとか呟いていたら、今度はパソの調子が悪くなった。この7月と同じような状態で、シーク中にきょいんきょいんと妙な音が入る。ハードディスクに異状は見つからなかったのだよなあ、やはり電源だろうか?とにかく助けてサンタさ〜ん!

 『逃れの町(フェイ・ケラーマン/著、高橋恭美子/訳)』読了。
 シリーズ物を途中から読むと、過去のネタが多すぎまたは少なすぎでおしなべて話に入っていきにくいものだが、本作はさにあらず。さりげなく語られる過去のエピソードが邪魔になるどころか主人公の背景描写として自然に織り込まれて厚み深みを醸し出す、見事な構成となっている。
 また、事件の核心部でもあり主人公の属する場でもあるユダヤ人の社会が、説明的にならずに分りやすくまた偏らずに描かれているのも秀逸。どうしても「選民思想と排他主義の人々」か「アウシュヴィッツの被害者」としてラベリングしちまいがちなのだが、生活レベルのことから宗教観の濃淡に至るまで丁寧に記されたものを読むと、そんな先入観はさらりと払拭され、ただ異なる文化の人々として興味深く眺めることができるようになった。
 で、本筋のほうもまた秀逸。謎に満ち充ちた発端から警察の捜査活動を地道に描き飽きさせない序盤、サスペンスフルな後半、そして何より最終章での驚きときたら!なんつーかその、この人を主役に据えてハードボイルドに仕立ててもイケるんじゃないかという重みを、わずか数ページに込めての断ち切り方もまた見事。久しぶりに熟読させられました、降参っす。


12月25日(日) 晴

 短いながらも正月休みが取れそうなので、篭城用糧食としてあんこ製造。今回はいろいろ調べて、究極の手抜き製法を目指してみた。手順は以下のとおり。
 1)前夜からたっぷりの水に漬けておく。
 2)水を捨て、かるくすすいで炊飯器へ。小豆の2〜3倍の水を加え、炊飯スイッチオン(途中で水気が無くなったら、熱湯を足す)。
 3)炊き上がったら何粒かつまみとって固さをみる。指でつぶせるぐらい柔らかくなったところで豆が浸る程度を残して余分な湯を捨て、鍋に移す。
 4)砂糖(水に漬ける前の小豆と同量)を加え中火で煮る。アクが出たらすくって捨てる。
 5)砂糖が溶けきったあたりで火を止め、寒いところへ鍋を持っていって2時間ほど放置。
 6)冷めたのを再度中火にかけ、木べらで混ぜつつ煮詰める。
 7)適度な固さになったら塩を振り入れて火を止め、よく混ぜて完成。
 煮る作業を炊飯器任せにし、かつ放置タイムを設けて味を染ませるというダブル手抜きで完成したブツは、そこそこの出来栄え。ただ、いつもより多少甘味がとんがってる感じがするのは気のせいか。とりあえず今後も実験を重ねて、より旨くて手が抜けるあんこ作りに励むとしよう、冷凍庫の容量が許す限り。

 作業の合間に点けっぱなしのTVを眺めていたら、有馬記念の実況が始まった。史上初の無敗の4冠馬が出るかどうかの大勝負だそうで、競馬場を埋め尽くした人波の密度の高さったら、ほとんどホラーだった。
 が、直後に画面に映ったのが一点染み無き白馬3頭、これが美しいのなんの。お馬とお金の駆けっこに興味のない半生を過ごしたおかげで知らなかったのだが、これはパドックから競技場への誘導役なんだそうな。こういう生き物を見物できるなら、競馬場も悪くないな。


12月29日(木) 曇のち大雪

 勤務先の納会&忘年会。宴果てた後、所用あって会社へ戻ったら、暗い事務所内にむせるような芳香が漂っている。誰かコロンでもぶちまけた…にしては匂いにトゲトゲしさが無いものの、大輪の百合のように濃密で一種威圧感さえある香りは息苦しいほど。いったい何が、と発生元を辿ったら、観葉植物に花が咲いていた。
 ドラセナ・フラングランス。数日前から花房がついてるのには気付いていたが、タコの卵みたいなそれはてっきり妙な形の花なんだろうと思っていた。それが今、オリヅルランに似た繊細で可憐な星型を薄闇の中に白く浮き上がらせている。
 残念ながら夜が浅いせいか、花の数は全体の4分の一ほど。ネットで調べると写真を掲載されているところが何件かあり、いずこも満開なのが羨ましい。
 しかし個人宅で撮影したとなると、あの圧倒的な香りが家中に充ち満ちていたのでは…と思うと空恐ろしい気が。そのかみ、ヴェネツィアの名家で、断罪せざるを得なくなった寵臣を一室に閉じ込め薔薇で埋み殺したという典雅なガス室の伝説もあるけれど、一般ご家庭に向く処刑方法じゃありませんな。<論点ズレてます
 つか、まあ、フラダンスの腰ミノ用の樹と考えると、むっちりしたハワイアンなおっさんが夜中にじわーり増殖して部屋一杯になってる幻想にとらわれますが。うぬ、おそるべしドラセナ。

 『夜明けのフロスト(R・D・ウィングフィールド他/著、木村仁良/編、芹澤恵 他/訳、 光文社)』読了。
 『ジャーロ』誌のアンソロジー第3弾、今回はクリスマス特集。読み終えて、まず不満噴出。
 薄いよ!物足りないよ!ええ、内容にはかなり満足ですが!
 D・ホックを皮切りに、ピカード、マラー&プロンジーニの夫婦合作、ラヴゼイと達者なところを揃え、シメに事件まみれのクリスマスを迎えた名物刑事の表題作を持ってきた上出来ぶりなのだが、最後が最もボリュームある中編、わーいと盛り上がったところで後が無いのは寂しい。できればもう1、2作でいいから欲しかったというのは贅沢なんだろうけどねぇ。


12月31日(土) 晴

 かつて難波弘之がダニエル・キイスの名作にことよせて「心の窓に光が届いたら 新しい世界が見えたよ」と歌ったものだが、ではその窓が一定時間しか開かない者の世界はどんなものなのか。またその人物と周囲はどのように関わることができるのか?
 『博士の愛した数式(小川洋子/著、新潮文庫)』は、記憶が80分しか保たない老数学者と彼に出会った母子の、ひたすらに優しい友愛の物語であった。
 博士の病状の残酷なほどの正確さは描写され、けれどかの物語のように哀感を押し出すではなく、だからといってオハナシゆえの奇跡も起きるではない。ただ淡々と過ぎる日常の中で小さな喜びをともに重ねてゆく姿が正確にして精密このうえない数学とともに描かれ、不思議なほどの調和を醸し出している。さらにそこに野球、それも阪神タイガースという俗の塊みたいなエッセンスを投じることで、さらに身近に、かつ明るい空気を含ませているのも上手い。虎好きのねこまによれば、この時期の阪神だからこその面白みもあるのだとか。
 しかしこの作品、物語の背後に横たわる老婦人の情景を思うとただ美しいだけではない。ともに遭遇した事故で自分は身体の自由を奪われ、(おそらく幾多の目に咎められ真情を語ることのできなかったであろう)愛する人は閉ざされた時間の中を巡り歩くだけで未来へ踏み出すことが出来ない、そんな状況があからさまに描かれないだけに却って胸苦しくなるほど、よりくっきりと、日盛りの向こうの影のように際立って映る。
 人の生と想いと、卑近なものと手の届かぬもの、すべてを穏やかな眼差しで見つめられる平穏。アルジャーノンよりは『ベルリン・天使の詩』みたいな、心地よさが残る作品だった。


翌月へ





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