店主酔言

書籍・映画・その他もろもろ日記

2006.6

 

 

 

 

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6月6日(火) 

 1日の大半を会社で過ご日々が続き、日記を書くはおろか、家での生活がほとんど無くなっている今日この頃。いわゆる「メシフロネル」人種化しているワケですな。職場ではもちろんノンストップで仕事にまみれているもんだから、メシ食う暇さえありゃしねえ。パンを頬張りながら現場を駆け回りスタッフにパンくずと指示を出し、席へ戻ると割れよとばかりキーボードを叩きまくってはまた立ち上がるという、一人ブラウン運動状態。なのに痩せないのは何故だ!責任者出て来い!

 で、こういうストレス(いや、どこにストレスがあるかはさておいて)が溜まると、なぜか超・朝型人間になってしまう体質である。以前の職場でも、椅子寝りとか床寝とかまでやった頃は日の出と一緒に目覚めてたモンなのだが、最近めっきり5時半起床がデフォルト化している。このまま続くと精神的にヤバいんだよな〜とは思うんだが、醒めてしまうモンはしょーがない。なにせきっぱりくっきり、文句の着けようなく覚醒しちまって二度寝もできんのだから。
 かくて早朝の庭へ、ハサミとスコップと箸からなる庭師セットを持って降り、せっせと草花の世話などする。ねこまの要望あって植えたハーブだのトマトだのズッキーニだのキヌサヤだの、手をかけてみると日々それなりに変化しているのが面白い。しかし、こうして並べてみると食い物ばかりだなあ。たまに花が咲いててもカモミールだし。何故だ。戦時下で暮らした記憶は無いんだが。
 ちなみに最近の主な任務は、箸を駆使しての毛虫取り。よく道路を爆走してるのを見かけるでっかい茶色の毛虫のシーズンなもので、どこにでもここにでも現れてはモシャモシャやらかしてくれるのだ。さすがに防虫効果のあるタイムには居ないが、強烈な匂いのラベンダーにまで取り付いているのには呆れた。生命力とはこういうのを言うんだろうな。でも悪いけどヨソでやってね、と箸でつまんでぽい。人間なんてこんなもんだよキミ。

 毛虫に人生を語りつつ、今日も身支度をし出社。通勤の友は先月に続きクリスティー。が、ささくれがちな気分にエルキュールおじさんの濃厚な個性はちょっと胃もたれするもんで、もっぱら園芸仲間にもなれそうなミス・マープルにご一緒願っている。
 最近読み終えたのは、いずれも幕切れがドラマティックな『ポケットにライ麦を(宇野利泰/訳)』『鏡は横にひび割れて(橋本福夫/訳)』の2作。情景はアクションとはほど遠くいっそ静謐であるのに、胸苦しいほどの感情の高まりを重みを描いて秀逸である。子供の時分はこうした部分には気付かなかったなあ。いずれ棺桶に片足入れた頃合にまた読んでみると違った興趣があるものかな。


6月18日(日) 曇

 ひさびさ、というか2週間ぶりの休日。仕事は苦にならないほうだが、流石にこう続くと老体には堪える。かくて相方とふたり、ぼけ〜っとDVDなど観て…って、ちょっと待て、なぜ彼女までぐーたらしてるのだ?まあ、うかつに突っ込むと安息が無に帰す可能性を含めてイロイロと危険なので口は鎖しておきますが。

 で、まずは『宇宙戦争』。嗜好を同じうする友人の間でつとに評判高かったため、これを観ずに死ねるか!と思い定めて幾年月、ようやく目にできた一件である。
 見事な怪獣映画、或いは災害ドキュメンタリー。
 意思の疎通はおろか共通の価値観も得られない、まったく異質で強大な「敵」そのもの。一方的な殺戮と破壊、逃げ惑う人々、そして剥き出しにされる浅ましいエゴ。人間性だの協調だの互助だのなんてぇものは極限状況下でケシ飛んでしまうことを情け容赦無く暴き突きつける筆致は、それ自体が圧力さえ感じさせるほどだ。たとえば『インディペンデンス・デイ』のように「力を合わせて巨大な敵を粉砕、ばんざーい」なウソクサさは夢見るさえ許されない。敵が斃れることさえヒトの力の及んだことではなく、再び襲来が無いとは誰も言い切れない、およそ人間の与り知らぬところで怪獣は暴れハリケーンは去る、そういう事態なのだから。
 もとより主人公にしてからが、スーパーヒーローどころか一個人としても父親としてもまるでなってない、いわば落ちこぼれ系の一般庶民だ。隣人を見捨て友人を救えずただ逃げるだけの旅の過程で父としての自覚をもったはいいけれど、そのために行ったのは(理由は多々あれど)命の恩人の殺害である。ラストにのみ甘さが残っているけれど、この先に甦るであろう記憶を思えばハッピーエンドなどと言うべくもないと思う。また冒頭と終幕を飾る原作のメッセージは、人間もまた「敵」たり得ることを匂わせて酷薄ですらある。スピルバーグは正しくウェルズの意思を継いだと感じ入るばかりであった。

 で、ここで感動したまま居られれば良かったんだが、続けて観たのがへっぽこ極まりない『アイランド(リンクなんか貼らねーよ!)』だったので気分が台無しに。うーむ、せめて順番を逆にすべきだったな。陳腐な設定、ありきたりなストーリー、なんの解決もみない幕切れとD級えすえふフルコースみたいなシロモノを併映にもってくるべきじゃなかった。気分直しにオーソン・ウェルズ版でもネットで探してナイトキャップにしようか?


6月22日(木) 曇時々雨

 ドラキュラ、というと脳裏に浮かぶイメージがふたつある。片方は、言わずと知れた吸血鬼、ことにもクリストファー・リーの往年の姿。白いカーテン翻るフランス窓へ風さえ寄せ付けぬばかりに静まり返って立つ黒衣の長身、憂わしげなれど餓えた眼差し、囁いてさえ朗々と響く声…と、スタイリッシュな面ばかり思い出すのは、まだ小学校にも上がらぬ時分にくっきりかっきり魅了(チャーム)の呪いを刷り込まれたおかげだろう。ええ、もう、お遊戯室の暗幕にくるまって遊んで怒られましたともさ!
 で、いまひとつの画像はというと戦国武将のメジャーどころ、織田信長だったりする。かつて見たヴラド・ツェペシュの肖像画が、この人と実によく似てたのだ。細面の輪郭、鷲鼻ぎみの通った鼻梁、薄い唇、大きな目(を、片方はすがめるようにして)で描き手とはかけ離れた方向を眺める姿勢といった特徴が妙に重なると思うのだが、いかがだろう。
 そして歴史に記された彼らの「残虐」といわれるエピソードが、さらにその相似を深めて見える。討ち取った敵の首級を髑髏杯に仕立てるのも、串刺しにされた死者の只中で悠然とディナーを愉しんでみせるのも、恐怖をもって人心を操る手段としては同じものだろう。またその結果、どれほどの治安の向上をみたかということも皮肉きわまりない共通点だ。もし僕が生まれ変わりを信じるタイプだったら、この二人をこそその事例と決め付けちまうだろうな。

 と、こういう人間がビジーまみれの2週間、通勤の友とした本『ヒストリアン(エリザベス・コストヴァ/著、高瀬素子/訳、日本放送出版協会)I&II』。ええ、単行本です分厚いです重かったですともさ!なのに残念ながら、手放しで「面白かった!」とは言えないときた。
 まず、語り口が非常に冗長。主として書簡で構成されてるという設定のせいもあるけれど、頭の中の朗読者が俯いて小声でボソボソと呟いてる気がする、単調な文章が続く。ネタも当初は小出しにしすぎて、スロースターターで引きが弱い。もとよりエクスクラメーションまみれであってくれと望むわけもないが、もちっとメリハリつーか緩急があってもいいんじゃなかろうか。歴史絡みミステリの常で『ダ・ヴィンチ・コード』よろしく各地を転々と調査行するのは良いし情景描写も味があるのだけど、歴史の掘り下げも今ひとつ中途半端で一方的、これでは表題が泣こうというものだ。
 しかも、この作品のキモであるところのドラキュラ像がまた、僕の中のそれとミスマッチなのは良しとして、描写が乏しく一面のみしか無い平板な描かれ方をしてるときた。ネタは面白いしイベントも豊富、架空の書籍を筆頭とする小道具類もいい味があるのに、これは惜しいとしか言いようがない。ブラッドベリ・シロップとゼラズニイ分、それにマシスン・エキスをトッピングしてほしい。いやさ、いっそジュブナイルとしてシンプルにまとめあげたほうが良かったのでは。映画化が予定されてるそうだから、そちらでダイジェストしてもらったものを楽しみにしてみるか。


6月23日(金) 雨

 ビジーもようやくひと段落、まったり過ごす休憩時間にショップ巡りを楽しんでいたら、1/6スケールのエイリアンを発見。先だって(って、もう4ヶ月前なのか…)衝動買いの女神様の嘉し給う啓示のままに手にしたプレデターのオトモダチである。ええ、もちろん買いましたともポチっとな。ふははは、もう飾る場所が無いけど気にしないもんね!矢でも鉄砲でも持ってきやがれ天井に張り付いてるシーンでも再現しちゃるわ!それには複数匹欲しいとこだが!
 と、何か新たなトラップを自分自身に敷設した気もするが、この数ヶ月ビジーの極みを綱渡りしながら働いたのだ、これぐらいはいいよね?どうせ痛むのは自分の懐だし、到着するのは数ヶ月先で、その頃にはまたビジーの波に飲まれて組み上げられないまま眠らせる羽目になるかもしれんのだし!
 …トラップついでに自爆してしまいましたよ。どうするおい。


6月25日(日) 晴

 ここ1週間グズグズのグダグダだった空が久しぶりに輝くばかり青い朝。太陽電池で動いてる身としては陽光に抗えず、早朝から庭へ這い出す。昨夜の霧雨が残る蜘蛛の巣が美しい。蜘蛛にはエラい迷惑だろうが。

 野菜の世話をしつつウロついていたら、極小サイズの花畑を発見。

 可憐で繊細、人の手には決して作れない造形がこっちにも。

 しかし寝ぼけ眼のヲタクはというと、うーむこれは1/6スケールにぴったりじゃなかろうか、小さな女の子ドールに持たせてフランケンと一緒に水辺に置くといい感じでは、などと呟いてしまうのであった。こんな脳を覚醒させた太陽エネルギーの無駄遣いですな、わはははは。

 とりあえず無駄のまま日を過ごすのも悲しいので、以後は相方と掃除洗濯に勤しむ。さらに布団を干し、取り込みついでにソイツに顔を埋めてぐっすり。してみるとやはり僕の脳に充電したのは無駄であったな、うん。


6月26日(月) 晴

 ふと立ち寄った書店の新刊コーナーに『サイレントヒル(ポーラ・エッジウッド/著、牧野修/訳、角川ホラー文庫)』を発見。公開前の映画のノヴェライズである。原作ゲームのファンとしては迷わず購入、帰宅するなりそのまま読み了えてしまった。えーと、こういうのもネタバレって言いますか?セルフネタバレ?
 ヨタはさておき、本書はファンが十分に楽しめる出来だった。なんといってもシリーズを通して出現するおぞましいギミックやクリーチャーの描写が上手い。不意に色を変える空気、腐敗と錆に覆い尽くされる風景、のたうちよろめき迫り来る異形、蠢く闇、ぽつり残された車椅子。そんなもろもろが実にいいタイミングで登場するものだから脳裏にリアルに甦り、思わずにんまりしてしまう。いや、血腥いホラーでこのリアクションはアレかもしれませんが。
 ゲームの1作目をベースにしつつ、かなりの改変を加えたストーリーは、焦燥感と哀感というオリジナルの風味を残してかなりの上作。キャラクターも数人は元ネタと重ねてあって、実際に映画でお目にかかるのが楽しみだ。
 ただ、タイトルでもある町の設定が変わっているのは少々残念。確かに原作どおりだと強烈なインパクトを与えることはできないと思うけど、「死んだ筈の町に人が」よりも「生きてる筈の町が無人」のほうが、その後に来る異変がより際立って見えると思うのだがいかがか。1作目のあのメアリ・セレスト状態の霧立ち込める町の印象は何よりも強烈な孤独感を受け手に与え、続く衝撃をいや増してくれたものだから。


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