店主酔言

書籍・映画・その他もろもろ日記

2006.9

 

 

 

 

 

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9月3日(日) 曇時々雨

 ここしばらくで読んだ本。

 『聖なる少女たちの祈り(リチャード・モンタナリ/著、安藤由紀子/訳、集英社)』
 たまさか(しかも相方の積読の中から)手にとったのだが、思いのほかの佳品。少女たちをターゲットにした残忍かつ奇妙に美しい猟奇殺人、立ち向かうはヴェテランの中年男と一児の母ながらまだ若い昇進したての新米女性。まず、このコンビの人物像がなかなかに上手い。おっさんのほうは汚濁の中を生きてきてなお踏み越えなかった一線に迷っているし、ルーキーはというといきなりの大事件に緊張しつつ家庭の危機に直面中。けれど二人ながらにプロとして己を律し、かつアリガチなジェネレーション/ジェンダーによるギャップなど作らず、率直に互いの力量を認めバディたるべくして事件解決に当たろうとする。ある意味「いい子ちゃん」な造型だけど、そこらでドラマを作るべく捻った作品が多い中、素直なだけに新味があるのだよな。
 事件の展開も、まずまず。ミスディレクションは今ひとつ効いていないけれど、真犯人の登場にはおお!と膝を打たされた。きっちり布石を行って最後でどんでんと幕を開けてみせるあたり、一種古きよき本格系の味わいもあったりして。
 訳もなかなか読み易く、スムーズに巻末まで流れることができた。ただ訳者氏にひとことお願いしたい、どうか今すこし語彙を増やしていただけまいか。キャラクターのほとんどが何かというと「にこり」と笑うつーのは、あまりにも場違いじゃあるめぇか。よしや英単語が同じでも、日本語に直すにワンパターンでなきゃいかんという法はないでしょう。シリーズは続くらしいから、ぜひ次作にて改善を。

 で、こちらは改善の余地のなさそうな『猫はバナナの皮をむく(リリアン・J・ブラウン/著、羽田詩津子/訳、ハヤカワ文庫)』。
 訳には一片の不満もないけれど、作者様はもうミステリを書く気は失せたと思われて、斯ジャンルとして楽しんできた身には寂しいかぎり。というか、そもそも小説への意欲が無くなったんですかねリリアンおば様。前作はかるく肉付けしたシノプシスみたいだったし、今回はっつーと話の半ば、起承転までで終わっちゃったみたいな座りの悪さがどうにもこうにも。なんせ「殺人だか何だか曖昧な死が」「疑わしい人物が居る」「告発者も怪しい素行」とネタを並べ、いつもの猫のお告げめいた行動の果て、結論が出ないで終わるんだぜおい。しかも田舎の人心観察日記ならまだ面白いのに、視点たるべきクィラランその人が噂の流通路になったりしてはどうしようもないじゃないか。
 好きな作家が居なくなるのは悲しい、が、読むに耐えないものを発信してくるのはもっと悲しい。書店通いの難しい今日この頃、看板買いをさせてくれる人の少なさにしみじみ溜息つくばかりであった。いや、どのみち盲買いもしますけどね。


9月7日(木) 雨のち曇

 『ローマ人の物語 賢帝の世紀(塩野七生/著、新潮文庫)』上中下3分冊を一気読み。
 面白い、実に面白い!なにがって、己の蒙が啓かれるのが…とは、言ってちょっと恥ずかしいものがあるけど、読んでる間はそんな些事など脳裏にちらとも浮かばないほど勢い良く文字が脳に流れ込む。特に今日の世界情勢、ことに不和の根っこが、既にこの時代に出来上がってしまっていたあたりが新鮮味たっぷりで実にいい。ネタとしては楽しめるような話でもないんですけどね。
 これまでも数たび語られてきたユダヤ教徒と他民族の不和が、西暦130年代に至ってついに決定的となり、結果としてユダヤ人は故郷を追われパレスティーナという地名が出来たってぇあたり、さらっと習った世界史では微塵も知らなかった。しかも、それと同時に「原理主義者」主導で過激化したユダヤ教徒が同じ民族内のキリスト教徒とも険悪化、のちのちの差別の土台を作ってしまったというのが何とももの悲しく括目させられる。極論ではあるけれど、この時ユダヤ人たちが妥協案を見出していれば、ナチの虐殺も無かったかも知れないワケだ。神に選ばれた民を称する以上それは不可避、もとより望むところなのかも知れないけれど、流された血に見合うものがあったのかなあ。
 またこの3巻、特に下巻のあたり、あまりにも平和すぎて後世に残る資料がない時代ということで細切れの資料を推測で継ぎ合わせているのだけれど、そのへんで塩野氏の作家としての腕が大いに奮われてるのも見どころ。皇帝たちのリレーを追って、さまざまな個性に出会う愉しみをこもごもに味わわせてくれた3人の後はいよいよ最後の賢帝と最悪の暗君の登場、ぜひこの調子でお願いしたいものである。いや、もう書かれていて、こちとら文庫化を待ってるだけなのだけれど。


9月9日(土) 晴

 妙な夢を見た。
 昔飼っていた犬がいる。で、そいつが(当時はもちろん家に上げたことなどないのに)室内で粗相をしてしまったものだから、ねこまと二人、風呂場でせっせと洗っている。あっちは汚された衣類か何かを、僕は犬本体を。
 おかしい。
 夢の中で、そう思っている。なにせ今、家には猫が2匹、他には熱帯魚がいるばかりなのだ。なんで犬が、それも飼ってる途中で盗まれてしまったコイツがいる。それも、目にしたこともない老いて草臥れきった姿で。
 だから、しょうがないヤツだな、とか、勘弁しろよ、などと犬に愚痴りつつ、ついうっかり猫の名前で呼んでしまう。その度に犬は不満げな、いかにも悲しげな顔をする。
 変だ。
 どう考えても変だ、と夢の中で考える。コイツはこんなにでっかかったろうか。挫傷ができたりしてるけど、他にもゴツゴツしたところが多くて、まるで熊だ。ビーグルの雑種で、小ぶりの中型犬だった筈なのに。
 で、目が覚めたら、くそペルシャ(腸が曲がっていて不始末をしでかすことが多い)がまさに相方の布団の上でやらかしていた。たぶん、この臭気がトリガーになって見た夢なのだろう。人の意識や記憶というのは不思議なものだ、なにより、こうしている今まさに夢の記憶はみるみる薄れつつあり、大急ぎでキーボードを叩いているワケで。
 あぁ、件の犬が今まさに息を引き取ろうとしていて僕に思念を送ってきたとかって心霊系の妄言は勘弁ね。あいつが居なくなったのは僕が小学校の時、もはや30年以上も昔のことなのだから。

 とこう所謂オカルトごっこに興味の無いクチだが、怪談怪奇小説の類は大好きである。もちろん、絵も。
 そんな人間を嘉したもう神の采配ならん、素晴らしい本を手に入れた。
 『憑かれた鏡〜エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談〜(河出書房新社)』。おぞましくもユーモラスな異形を描いて右に出る者が無いイラストレーターにしてデザイナー、かつは絵本作家のエドワード・ゴーリーが、イギリス怪奇小説の古典としてひろく知られた作品の中からチョイスした作品集。「信号手」「判事の家」「八月の炎暑」「猿の手」などなど、いずれも既読なのに背筋をざわつかせつつじっくりみっちり愉しめる。なにせそれぞれの扉画がゴーリーの手になるものなのだから。
 この画がまた、各作品の空気を絶妙に伝えかつネタバレを巧妙に避けているという出来のよさ。たとえば「信号手(そういえばこれの作者がディケンズとは意識してなかったな)」の黒々と聳える崖の眺めなど、まさに不安の生み出すこの物語のあやかしの姿そのもの。
 こんな本を一気読みしては勿体無いので、枕頭に置いて日々1作ずつ味わい、心地よい肌寒さを覚えつつにやにやと眠りについている。ああ幸せ。って誰だ、そんな中年そのものが猟奇だとか言うヤツぁ!


9月21日(木) 晴

 妙な軌道を描いて狭い日本海を北上してきた台風13号がかる〜く当地を踏み越えていった20日からこっち、非常にしのぎやすい気候になった。陽射しは明るく風は涼しく、実りの季節を迎えて食欲もいや増そうというモンである。つか腹減った〜!<昼抜き

 『シャーロック・ホームズのSF大冒険(マイク・レズニック&マーティン・H・グリーンバーグ/編、日暮雅通/監訳、河出文庫)』上下巻を読了。SFでホームズもの、という条件のもと(一篇を除いて)書き下ろされた作品群は、いずれもなかなかの出来だった。
 もちろん、ちょっとコレは…な違和感を覚えさせるものも無いではない。が、語り口まで似せられた「バーバリー・コーストの幽霊」や、小惑星の力学(これについては敬愛するアシモフ翁が卓越した解釈を行っているが)の真意を解く「ロシアの墓標」は正典の1作としてもよさそうな趣があったし、同時代のキャラクターとしてH・G・ウェルズのタイムトラベラーやあの伯爵をゲストにしたもの、下巻の冒頭を飾る「数の勝利」などのコミカル系作品はさらにヌルめのシャーロキアンには楽しい。ことに最後のは、ヨコジュンか犬ホームズかというスラップスティックなシーンが圧巻。個人的には固定しなかったのは痛恨の極みです、はい。

 夜、『憑かれた鏡〜エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談〜(河出書房新社)』を読了。
 前にも書いたけれど、選ばれた作品がどれも今時の「オバケが来る!理由はコレ!来た!ギャー!」ってな騒がしさとは無縁の、冷え冷えとした興趣に満ちているのがいい。ことに「猿の手」は再読に再読を重ねてなお、ラストシーンの静寂が総身を包み込む冷気と悲哀をかもしだす。名作の名作たる所以、ここにあるというべきだろう。
 またゴーリーの絵も、それぞれの作品の場面から主として発端を、暗示たっぷりに切り抜いているのが妙手の技かと。凡百の描き手なら、たとえば「信号手」では叫んでいる人物そのものを描いてインパクトを与えることを考えてしまうのではないだろうか。あえてそれを避け、文章から恐怖を感じてのちに絵にふたたび目を戻させる彼のたくらみにこころ惹かれるばかり、もう1冊買ってきてバラして、作品ごとに装丁して愛情表現したいくらいなモンである。いや、この絵に合うレベルの装丁なんざ、残念ながら出来ませんけどね。


9月25日(月) 晴

 かねてオーダーしていたノートパソコンがやってきた。DELLのXPS M1210、A4サイズのコンパクトなボディに好みの機能だけぎゅぎゅっと詰めてざっと15万円、非常にお買い得感の高いものになったと思う。
 ただ開封早々驚いたのだが、外見がサイトで見るより軽い感じで、妙に「特撮の小道具」チック。それも『特捜戦隊デカレンジャー』っぽい。否、付属のビニール製CDケース(ロゴが銀色エンボスでプリントされてる)を並べてみると、そのものとしか見えない。ヤバい。これはやはり、壁紙をSPDエンブレムにするのが義務か?
 とこう、くだらない使命感に戸惑いながら起動したら、今度はワイヤレスネットワークが引っかかってきて愕然とする。ちなみに我が家のネットワークは有線オンリー、つまりご近所の誰かがホットスポット公開中ってことかなんだろうな。無料のプロバイダだ〜ラッキー!と素直に喜ぶべきだろうか?<犯罪です


9月30日(土) 晴時々雨

 ちくしょうちくしょう、と心に呟きつつ『ザ・ポエット(マイクル・コナリー/著、古沢嘉通/訳、扶桑社)』上下巻を購入。なにが悔しいって、先日発売になったボッシュ(元)刑事シリーズ最新作『天使と罪の街(著訳とも同)』これまた上下巻を読んでしまったからなのだ。これ、『ザ・ポエット』解決編じゃねーか!おい!
 基本的に気に入った作家の本は素直に手にするし、要らんネタを頭に入れたくなくて背表紙のストーリーや巻末解説は読まないノーガード派なものだから、しっかりこっきりネタバレされてしまった。リサーチ不足と言われればそこまでだが、それならオビにも、薬にもならん惹句よりもこっちのほうを書いて欲しかったもんだ。
 で、『天使と罪の街』はというと、素直に面白く読めた。既に一度シリーズに登場している元・FBI捜査官の死の真相を追うボッシュと、死んだ筈の殺人鬼の出現に闘志を燃やす女性捜査官とのコンビネーションが面白い。二人ながらに独立独行一匹狼タイプなのに、共通の敵に狙いを定めるや無言でがっちりタッグを組み体制をあっさりぽいと無視してコトに当たるあたり、やってくれるなぁとニンマリ微笑まされる。とはいえ少し前からようやくボッシュが「仲間」の存在を認めはじめ、今回に至ってはかつての相棒と再度組もうと己から働きかけるという進歩を見せているので、これに続く物語で大きな変化がみられるのではないかという期待も大きい。
 また本作、舞台が『CSI』&『CSI:マイアミ』それぞれと近いものだから想像しやすいということもあるけれど、印象的な情景描写や小道具が多いのもツボ。ことに砂漠に見棄てられた小船のイメージは不思議に鮮烈だった。
 さて、遡って出会う詩人(ポエット)はそのタイトルロール中何を見せてくれるやら。既に正体が分かっているのはナンだけど、ボッシュ・シリーズで以前にちらりと顔出しした新聞記者氏との出会いも楽しみなところ、じっくり向き合ってみるとするか。

 とこう言いつつ一緒に買ってきた『「超」怖い話超-1怪コレクション(加藤一/著、竹書房)』をさらっと読了。新人発掘のためのコンペティション、しかもWeb上でのそれというイマドキらしいイベントで編まれた作品群である。
 霊だの魂だのという定義づけ無しに「何か分からん妙なこと」を怪談の至上とする人間には、結構なお手前の1冊かな。とはいえ、個々のネタがあまり印象深からず、ちょいと薄味の感は否めない。選考基準が「超怖」ライターであるからやむないところではあるけれど、書き口がワンパターンで新味が無いってのも残念。
 とはいえシリーズ立ち上げ人のオリジナルとして期待しつつ読んだ『「超」怖い物語〈1〉屍村(樋口明雄/著、竹書房)』が、あまりにも怖くない…どころか、ぶっちゃけワンパターンに過ぎて堂々巡りしそうになったことを思えば結構しっかりと怖がりたがり用エンタテインメントだと思う。これをもってシリーズに新風が吹き込まれることを、発刊当時のファンの一人として祈念したい。えーと、呪言はヘカテの召還あたりでいいっすか?


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