店主酔言

書籍・映画・その他もろもろ日記

2006.11

 

 

 

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11月3日(金) 晴

 ここしばらくで読んだ本。

 『メイプル・ストリートの家(スティーヴン・キング/著、永井淳・他/訳、文春文庫)』
 短編集分冊の3巻目、今回の既読作はクトゥルフもの『クラウチ・エンド』。ごく普通の人(まあ、神話の創始者描く所謂「普通の人」は大概の場合、猫を半ダースばかり殺しそうな好奇心の主なワケだけれど)が理不尽きわまりない状況に叩き込まれ、力の限り泣こうが喚こうが抵抗できずにおぞましい存在と顔つきあわせ恐怖の淵に叩き込まれ、完膚なきまでに人生を破壊されるというお約束をきっちり踏まえた力作である。いつもながらのリアル描写の妙はもちろん、そこに不協和音を招きかねない筈の荒唐無稽なパルプコミック時代の名詞をうまくアレンジし、怖さを醸し出すのがなんとも上手い。
 「恐ろしい子供」をテーマにすることの多いキングが、しかしその子供側から「嫌な大人」への一撃を描いた表題作も痛快だったが、一番好みだったのは古きよき『トワイライト・ゾーン』を思わせる『電話はどこから……?』。ありがちなネタといえばそうなのだけど、抑えたトーンできっちりと積み上げられた言葉の連なりが醸し出す深い悲しみがなんとも言えない。たぶん、これで動いてる役者を観るより思い入れは深くなるのじゃなかろうか。

 『翡翠の家(ジャニータ・シェリダン/著、橋まり子/訳、創元推理文庫)』
 「コージー・ミステリ新シリーズ」と謳う腰巻に惹かれて手にしたのだが、これが思いがけないほどの上作。
 大戦終結後のアメリカ、ふとしたきっかけで中国美女とルームメイトになったヒロイン。移り住んだ屋敷の謎めいた住人たち、次々と起きる事件、暴かれてゆく謎また謎、これらがいずれも活写されているうえ、軽快なテンポの語り口もあいまって非常に楽しめる作品になっている。メインの事件についてはある意味すぐにネタ割れしてしまう部分もあるのだが、キャラクター群の魅力がそれを見事にカバーしているといえよう。
 で、時代色のつけかたも上手いな〜、元は歴史屋さんかしらん…と解説へ読み進んで仰天。えええ?そんな!リアルタイムの人だったんですか?つまり、シリーズが全訳されても先は望めないと?うわー酷いや!こういうどんでん返しはフェアじゃないよう!


11月7日(火) 曇りのち雨

 『緋色の迷宮(トマス・H・クック/著、村松潔/訳)』読了。
 上手いのに読みたくない、しかし止められず読んでしまうという胃に悪い作家、H・クックの新作。出だしからして陰鬱で重苦しい不幸の香りが芬々、なのに語り口は訥弁かつ思わせぶりで、髪の毛かきむしらんばかりにイライラさせられる。それでもやっぱり先が気になってページを繰らずにいられない、ほんと、嫌になるほど上手いんだよねえこの人。
 今回の苛立ちの元は、多くのクック作品同様に主人公。愛を「一度獲得すれば当たり前にそこに在る」ものと認識し、不測の事態を前に能動的に「疑う」ほどの意思もないまま「不信」もて家族に向き合ってしまう彼は、ごく平凡な現代人の姿そのものだろう。他者の痛みどころか己のそれにすら一拍遅れて気付く男が、不幸な巡り合わせを重ねついに「疑い」に立ち至ったとき、積み重ねた日々は砂上楼閣のごと崩れ去る。
 小世界のカタストロフを紡ぐ筆には相も変わらず仮借が無く、やりきれない苦味を後に引く。ただ今回、捜査当局のやり方があまりにもステロ、かつ無能すぎて説得力を欠く部分も。これはあながち僕が『CSI』ファンだからでもないと思うのだが、いかがだろう。


11月8日(水) 曇のち雨

 猫を拾った。

 猫下僕(うっかり猫を飼ってしまった人間の呪われし末路)の端くれとして、歳ごとの猫の楽しさ面白さ、ことにも仔猫の可愛らしさは知り尽くしている。ひんやりしたイチイの実のごと柔らかな足うら、出っぱなしでむず痒さを撒き散らす細い爪、ピンポン球に柔毛をまぶしたような頭。ぽっきり折れそうな骨格が触れるくせに軟体動物めいてのたくり転がり、いっちょまえに背中を弓なりにしてぴょんぴょん跳んでいったかと思うと、あられもなく大の字なりの無防備な寝姿を晒す。
 そんなブツとペットショップで出くわすたび、欲しいほしいと思いつつ相方ねこまともども物欲神の誘惑に耐えてきた。なにせ、我が家には齢20歳の前と後に至った老猫がいるのである。こやつらにストレスを与えず余生を果たさせるまでは次の猫は連れ込むまい、まして元気盛りの仔猫など…と決めていたのだ。
 が、決まりなんてぇのは、現実がどかーんと降って来た時には何の役にも立たんのであった。

 夜遅く、相方とふたり蕎麦屋で夜食をたぐった帰り道、小雨の中を通りかかったアパートの裏手で突然、高い声がした。かぼそいくせにつんざくような、無視することを許さない声。『草迷宮・草空間(内田善美/著)』の冒頭で主人公の足を止めさせたまさにあの声…とはいえ懐中電灯の明かりに入ってきたのは、残念ながら魂のこもった日本人形ではなかったのだが。
 チャコールグレーの仔猫は、小さく小さくうずくまって震えていた。塀の上、少し離れたところには成猫が数匹いるが、どれも子供のところへ寄ろうとする気配をみせない。人間が下がろうとすると連中も下がる。ではと寄ればなお下がる。譲り合いかよ!としょうことなく拾い上げてみたら、仔猫はぐにゃりと頭を垂れるではないか。その首筋から背中にかけて、べったりと濡れている!
 ぎゃー!食われかけ?
 と一瞬思ったが、触れた手は赤くない。だからといって、そりゃ良かったと強まる雨の中震えるのをまた置くこともできず、バンダナにくるんで持ち帰ってしまった。
 チビは生後3週間前後。目は開いているが色が定まっておらず、少々ガチャだ。まだよく見えないそのどよんとした視線を人に向け、時々しゃーっとか凄んでみせる牙は胡麻粒サイズ。絶え間なく震えるのでとにかく暖めてやらねばと、こういう場合にお約束のペットボトル湯たんぽを古布で巻いてあてがった。さらに落ち着いた頃合に、買い置きのヤギミルクを溶いてやる。はじめピペットに馴染まなかったが、コツが分かるとぐいぐい飲む。おお、これは助かるかな?と、人間たちは浅はかに感動したのだが。
 ほどなく仔猫は白目を剥き始めた。具合が悪いわけではなく、ぬくまって腹が満ちたら眠くなったらしい。
 なんだこいつ。
 野良の子なら、こんなに簡単に落ち着いたりはしない。もとより人間が傍へ寄る前にしゅうしゅう唾を跳ばして威嚇するし、見えないなりの覚束ない足で物陰へダッシュする。まして家へなど連れ込まれたら、どこかの隅に隠れ場所を見つけるまで決死の形相で駆け回り、スプレーの一発もかます筈だ。見知らぬヒトと猫が各2匹うろうろ覗き込む前で眠りこけるなんて、シンジラレナーイ(c)ヒルマン監督。
 も少し調べてみようと、例の濡れてる位置をつまんでみると、どうも銜えていた跡のようだ。しかし母猫ならこんなヨダレまみれにはせんものだ。我が家でも、育児に不慣れな雄猫がこんなことをしていたが…。
 ねこま「家猫で、雄猫に持ち歩かれてたってこと?」
 状況証拠はそう言ってるな。<CSI風味
 ねこま「お母さんがいたら、そんなことさせておかないよねえ」
 うむ、我が家でも故・姫(享年16歳)のパンチが飛びまくっていたよな。
 ねこま「んじゃ迷子?でもちゃんと歩ける歳でもないし…」
 謎が謎を呼ぶまま、チビはやがて手脚を伸ばし、リラックスしきって寝てしまった。戸外の様子を窺っても我が子を呼ぶ母猫の声は無く、森閑と夜は更けるばかり。

 とりあえず理解できたのは、猫神バステト様の思し召しは物欲神の誘惑より強い、ということであろうか。なまねこなまねこ。猫下僕はあまねく用心しさっしゃい。いや、出くわしちゃったら意味ないですけどね。

今日の1枚

11月9日(木) 晴のち雨

 チビ猫めは明け方からかぼそく鳴いたが、人の手が触れるとコロコロ鳴りつつまた寝入っていた。起床後はヤギのミルクをたらふく飲み、さらにその残りを混ぜてやった成猫用(うちにはこれしかない、どっちかというと老人食)のキャットフードに食欲をみせた。うむ、一安心…と思ったが、その後けたたましく鳴きだして相方を慌てさせる。
 で、また食っている。大人ご飯を、ストレートで。
 何モンだろうかこいつ。うっかりして、カプセルに入れてバトルで育成するようなモンをゲットだぜ!しちまったんじゃないだろうな。

 『鉄腕バーディー 14(ゆうきまさみ/著、小学館)』読了。
 登場人物同士が向け合っていた「嘘」の面が、少しずつ剥がれ落ちたり薄まったりして次なる爆発に備えている感がある。わけても温情と冷酷とを飄然と同居させるゴメス氏の得体の知れなさがずんどこ上昇して、ファンとしては嬉しいところだ。
 ただ今回、アクションシーンの多い回の一部で線が妙に太く、劇画みたいなタッチになってたのは気になる。迫力を出す効果としてはそれなりに上がってると思うけど、これまでの同種の場面と比較すると違和感いくばくか。この作者に限ってとは思うが、アニメ化の話もあるところで、原作の質が変わったりしないと良いのだけれど。

 帰宅したら、老猫たちがチェックを入れにくるのと同じく、チビ猫がケージの中のダンボールハウス(湯たんぽつき)から這い出てきた。おお、出迎えかね?
 …餌皿に直行かよこいつは。
 既に腹が横へはみ出すほど食っているのに、さらに詰め込むのか。しかも何だか足取りが速くなってるし、声も明確な意図を示してでかくなってる。げに恐ろしきは育ち盛り、この先を思うとちょっと気が遠くなるものがあるな。こちらは耳が遠くなったせいの大声で餌を要求する20歳ズ用と並行して用意をととのえ、周辺の片づけをしつつ、ついでに無線LANの設定なんかを織り交ぜながら給仕もとい給餌してやった。
 やっぱりよく食う。
 しかも食うだけ食った後はケージの外へ出たがり、部屋の隅への探検行を企てる勢いである。やたら物陰へ入りたがるので用を足したがっているものと、ケージの中にダンボールと植木鉢の受け皿でトイレを設置したら、暗がりが気に入ったようで砂遊びを始めた。どうも製作者の意図とすれ違っている気がするが、まあ良しとするか。

今日の1枚

11月10日(金) 曇時々雨

 鳴き声に起きて見に行くと、猫赤子はケージの中で偉そうにこちらを見上げ餌を要求してきた。既に当たり前の光景になっているのが何だかな〜とは思うが、そこらの覚悟は拾った時にコンマ0.2秒ぐらいで完了しちまっている。猫下僕たるもの、かくあらねばな!
 が、それにしても、だ。
 ケージ中、ウ●コまみれなのはどういうこっちゃいチビ。その小さい体のどこからこんなに出した。しかも、腹は相変わらずぽんぽこりんだし!
 まあ、こちとら下僕キャリアはざっと20年、拾った瞬間から既にこんなこともあろうかと、予めケージの中身のセッティングには工夫を凝らしてある。こっちが片付ける間に相方が古洗面器で猫バス(風呂のほうね)をつかわせるのもあっという間だ。
 が、しかしその後、体が乾いたチビが飛び歩くのにかまけていたら、出勤時間はあっという間に過ぎ去って駅までダッシュを強いられたのはいうまでもない。かつてシラーは時の歩みが三重であり現在は瞬く間に飛び去ると記したが、朝の時間はその上を行くとは知らなかったに違いない。

今日の1枚

 それにしてもこの3日、われながらマメに日記を書いているものだ。ほっといてもネタを生成してもらえてラッキーと思うべきか、代償として削られる睡眠時間を惜しむべきか。


11月11日(土) 雨

 今日のチビすけ。
 なんだろう、この耳のついた黒瓢箪は。

今日の1枚

 で、いうまでもないが、これはわっしわっしと朝食をかっこんでいるところ。本当に、あきれるほどよく食べる。で、食べるほどに動きが活発になってきて、今朝はとうとうこっちの手に両前脚をふりあげて飛びついてきた。たかが数日でこれだけ回復・成長するのだなぁ。これまで何匹もの仔猫を見てきているのに、毎たび新鮮に驚かされる。
 それにしてもこの子、やはり飼い猫らしい。初日の不始末の後は一度も粗相をせず、植木鉢の皿を転用したトイレで用を足し、きちんと砂もかけている。このぶんだと後々も苦労しなくて済みそうだ…って、既に我が家のメンバー入り決定ですか?

 もっとも、先輩である老いた雄猫たちの反応は好意的とは言い難い。年長の黒猫は、かつて子育てにちょっかい出しまくった過去を忘れ去ったように唸ってみせるし、灰色のペルシャのほうは空気のようにスルーしまくっている。まあ、下僕の務めとして彼らのご機嫌を損じないように心がけつつ受け入れていただかねばな。


11月12日(日) 雨霙霰雪

 強風と冷たい雨に、とうとう雪が混じった休日。何が悲しゅうてこんな日に、しかも100キロ単位で隔たった実家へ無料サポセンに行かねばならないのだろう。僕の父上が悪いのだよ、生まれの不幸を呪うがいい。ってセルフで決めてどうするんだかな、ああ。
 まあ、行くと決めたからには完全装備、先日からの愛機XPS-M1210を引っ提げ、HDD直差しケーブルとそれぞれのACアダプタ、その他小物類をバッグに詰め込み家を出る。ぬう、重い。こいつはPCに充電しとかなかった自分の、日頃の運動不足を呪うべき…ですかね、やっぱし。

 それでも1時間程度は電池が残っているので、車中の無聊を慰めるべくPCを起動。この日記を書きながらBGMを楽しもうと思っていたので当然ネットに接続する用意は無いのだが、やたらにアラートが出る。ワイヤレスネットワークが接続可能…っておまえ、ここは高速だよSIDO(壁紙をSHADOのロゴにしてるので思いつきで命名)?
 結構な速度で移動してるというのに次から次へと検出される無線LANの群はいずれもセキュリティがかかっておらず、その気になれば枝から枝へ移動するオランウータンのように他人様のアクセスポイントを渡り歩いて目的地までネットも楽しめそうな勢いであった。なんつーかな、一般ご家庭にネットワークが普及したのはめでたいけれど、こんな管理の杜撰な状況でいいのかね。
 そういえば親父のところも、先日光接続に変えたのだよな。なのにアプリのインストールも一人でできず、それでこうして召喚されているのだった…と思い出したらまたムカついてきた。ちくしょー、ウチなんかまだADSLなんだぞ!<それは八つ当たりという

 で、僕が街を離れている間に、雨はどこかへ去ってBB弾のような雪粒だけが残ったらしい。夜ふけて帰り着いた時には、路上には冬将軍の銃弾がところどころに降り積もっていたのであった。例年に比べて遅くなった分、これからの攻撃の熾烈さが案じられるところである。


11月19日(日) 曇

 ひさびさに柚さんご来臨。猫スキーの彼女のこと、我が家へ来て10日目のチビ助を見てさぞや喜ぶだろうと思っていたのだが、予想に違わず大好評。チビのほうも大はしゃぎ、彼女の周りを飛び回るわよじ登るわ手にじゃれついて食らいつくわとしたい放題である。まあ、柚さんのほうもわしわしとところ構わずこねくりまわしていて、なにかこう、巨大猫と化しておった印象があったのだけれど。

 で、そんなチビは、拾ったその日から頭ふたつ分ほどでっかくなった。食事も老猫たちと並んで、同じものを食べている。

今日の1枚1

 行動半径もむやみと広がって、ふと気付くと棚に潜り込んでいたり。

今日の1枚2

 そしてこの野放図な寝姿。どうやら女の子らしいのに、あられもない。

今日の1枚3

 かくて日々成長し、物理的にも精神的にも破壊力を増すチビだが、なによりも我が相方の「猫を増やさない」決心を着実に突き崩しつつあるらしい。最近、名前をつけようとあれこれ検討しているのだ。古い物語ををひも解くまでもなく、名づけた瞬間に術が完成するのは自明のこと、理性を残した身としてはなんとか阻止すべく手立てを講じなくては。な、あんこ?<色が似ている


 『チェーザレ 破壊の創造者』1、2巻を読む。読んで名のとおり、ルネッサンス期のイタリアに現れた第二のシーザー、チェーザレ・ボルジアを描くコミックだ。ここまでのところ少年期、大事件は無いものの、次々と現れる当代の著名人たち(コロンブス、ダ・ヴィンチ、マキャヴェッリ?、メディチ家の人びと、などなど)とその描かれ方を見ているだけでも、これまで読み聞きした一般的な姿との違いが実に興味深い。
 若さに似合わぬ叡智の中に少年らしい理想と情熱をもつチェーザレ、彼を崇敬しその手足となるべく心に決めたミゲルはもとより、かれらと出会い対峙する、どうやら物語の語り手らしい主人公の少年の行く末も気になるところ。どうも、その美術(ことに彫刻)への傾倒と天与の洞察力をみるに、ゆくゆくはその道に進むのではと思うが、さてどうなるか。よもやミケランジェロその人でもあるまいが?


11月23日(木) 曇時々雪

 巨大化しました。

今日の1枚


 というのは、まあ、つまらんヨタなんだけれど、チビはここんとこメリメリばきょばきょぐでれ〜んと物体X的なノリで大きくなってきている。とにかく食う、そして走る走る回る回る、どこの東芝のマークですか?と問うている間に寝る。ヒトの子供もそうだけど、なにかこう、エネルギー効率が違うよな。

 さて今日はひさびさの休日。この2週間というものかな〜りアップテンポのデスマーチだったので、とりあえず全て放り出す覚悟でもぎ取ってみた。ちなみにこの後も引き続きマーチング・オンの予定である。とほほ。

 さあれ休日は休日、まずは日々疎かになっていたビデオテープの整理(主として相方の集めたフィギュアスケートの記録をHDDへコピー)をしつつ、洗濯と掃除。そして、昨日のうちからちょいと楽しみに用意をしていたカレーの製作。今回、TVやネットで仕入れたいろんな知識を活用して実験を試みたので過程をメモしておこう。
 まずは研磨作業用ゴーグルを装着し(いや、普通は要りませんが)玉ねぎを大量に刻む。当然ながら片手に包丁を握ってるので非常に怪しい。しかも、それでも避けきれないもんだから半分泣きながらやってるし。海亀もどきが殺人鬼に転職という風体であるな。
 で、刻んだ玉ねぎはオリーブオイルを少量かけてラップを被せ、レンジで加熱。いい具合になったところで油をひいた鍋に入れ弱めの火で炒める。そこへニンニクと生姜を各ひとかけずつ、いずれもこまかく刻んだものを投入。さらに鳥挽肉。これはメインの肉ではなく風味づけなので、量は少なくてOK。塩コショウして肉に火が通ったらニンジンを入れ…あ、キノコ買っとくの忘れた。まあいいか。冷蔵庫に椎茸が少し残っていたので、これを細かく刻んで入れる。
 ニンジンの表面に熱が通ったところで、水を分量の半分入れる。残りは3分の2をトマトジュース、3分の1をすりおろしたリンゴで埋め、ブーケガルニとローリエ各2、ブイヨンも1個投下。ん〜、あと何かないかな。出汁の素はさすがにマズかろうな。とか黙考しつつごとごと煮、ニンジンに竹串が刺さるようになったところで火を止めてルーを投下、今日はハウス製の中辛を2種類、各半分ずつ。少し溶けたところでかき混ぜて…って、その前にブーケガルニを抜かないとダメだろう!慌ててサルベージし、また火にかけてしばし煮込む。
 ほどよく火が回ってからは鍋を廊下へ持って行き、寒いところへ放置。以前に観たTVで、煮込みものの旨みを出すワザとして紹介されてた方法だ。2日目ほどの味わいは出ないだろうが、それなりに効果はあるんじゃないかな。
 半日ほど経ってから再度鍋に火を入れ、メインの肉を用意。鳥モモ肉をブツ切りにしたヤツをフライパンで焼く。強めの火で皮のほうをカリカリに、もう片面は軽く焼き色にして、一度ペーパータオルに取る。余分な油を吸わせてから、おもむろに鍋へ。あとはこの季節ならでは、ストーブに載せてことことと加熱。
 仕上げは相方のカエルコール(古)を待って、トッピングのジャガイモを用意。皮を剥きラップにくるんでレンジで加熱、すぐにラップをはがし粗熱を取ったらさいの目に切って、バターを引いたフライパンでこんがりと焼く。炊きたてご飯にカレーをかけてコイツを散らせば出来上がり、うまそー!
 と叫んで気付いたのだが、他の作業の進捗が著しく遅れている。特に洗濯は、予定の半分にも満たない。これを日々こなしているオカアサンという種族には、育ち盛りの子供とは別のシステム、たとえばターボチャージャーかなんかがついているに違いないな。


11月24日(金) 雪

 仕事のついでにふと立ち寄ったヨドバシで、映画『サイレントヒル』のDVDを購入。原作ゲームのファンとして公開前からず〜っと楽しみにしていながら、夏のデスマーチ(って年中そうじゃねーかちくしょー)のおかげでしっかりと観そこねた作品である。
 パッケージは2種類。本編&特典ディスク2枚組の通常版と、それにゲームとの比較ネタで構成された徹底検証ディスク&初回特典ブックレットがプラスされたプレミアム・エディション。観てない映画を買うのもやはり不見転の一種かのう、などと思案するも束の間、なぜか後者を持ってレジに並んでいた。これも物欲神の導き給うところ、逆らってはなるまい。
 (実はこの上にさらにブルーレイ・ディスクに本編&特典を収めたアルティメット・ボックスなる代物があるのだが、ヨドバシには売ってなかったのはもっけの幸いであった)
 事前にヒロツさんちのチャットでJUNCITさんにブックレットの中身がネタバレ天国と教えていただいていたので、とりあえずゲーム方面のみチラ見。キャラ紹介から設定、ストーリー展開と攻略法にいたるまで掲載されており、未プレイの方にはお勧めできないブツだ。がしかし、しっかり遊んだ人間には思い出すことこもごも、再度あのシーンを…とかって思いも沸いてくる嬉しいオマケでは。
 欲を言えば4作目である「The Room」についてはノータッチなのがちょっと残念。サイレントヒルの街が出てこないゆえなのか製作サイドの事情なのかは知らないけれど、あの街に惹き寄せられた人間にさらに力を及ぼされた者たち、波及してゆくおぞましい力を描いているのだからここへ加えてくれても良かったのじゃないかなあ。あ、もしかしてページ数の都合ですか?

 さて、問題は本編をいつ観るか。下手するとこのまま年末年始まで積読の仲間入りになりかねないんだよな。ちょっと裏世界に逃避したくなったんだが、あっちにDVDプレイヤーはありますかね?


11月25日(土) 曇

 『鋼の錬金術師 15(荒川弘/著、スクウェア・エニックス)』読了。
 「いま」の物語の根底を成すイシュヴァール内戦の実態を描いて凄まじいに尽きる、「去らない過去」の物語。戦争、しかも互いに顔付き合わせての歩兵戦は何もかもを目の当たりにさせずにおかぬ無残なものだが、言葉が通じる者同士、しかも一方の居住地、生活の場におけるそれとなると痛ましさはなおのこと。まして殲滅戦、血を流し斃れゆくのは戦闘員のみではない。圧倒的な勝ち戦に酔うこともならず、老人も女も子供も一律に踏み躙ってゆかねばならぬ者が目にさせられる酸鼻は、基本的にあっさりしている絵柄で重く見せ付ける。  戦場ドラマといえば小林源文に新谷かおるに浦沢直樹にたがみよしひさに星野之宣その他もろもろと手当たり次第読んできたけれど、かれらに伍して劣るものではないと思う。荒川弘、おそるべし。
 本巻、描かれる人生こもごもあれど、存在感を強烈に焼き付けるのは何といっても「紅蓮の錬金術師」キンブリー。狂気の人格異常のというは容易いけれど、いくさの場で人が何を為すかを冷静に見つめ、かつは「本分」に拘泥する彼を肯んじねばならない部分もあることはまた確か。この後どういう形でまた登場してくるのか、この話の楽しみがまたひとつ増えた。
 残念ながらもう登場しないキャラクターも贅沢に個性を主張している。バスク・グラン大佐など、戦場ものにありがちとはいえ実に魅力的な決断と行動である。いや、まあ、かくありたいとは思わないけれどね。

翌月へ





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