店主酔言

書籍・映画・その他もろもろ日記

2006.12

 

 

 

 

 

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12月1日(金) 曇時々雪

 昨日ふっかり積もった雪が眩い寒い朝。玄関を出たら、すぐ先にある大家さんちの自転車置き場(ビニール張りの小型車庫)から何かが飛び出した。黒っぽくて小さい影がひとつ、旋風のような速度で、しかし足取りはぴょんぴょんぴょんぴょんと庭を横切り跳ねてゆく…って、さっきまで足を齧ろうと襲い掛かってきてたチビじゃないか!なぜ外に?いや、そんな筈は無い、最後に見た時はまだ布団の上でTVを眺めている相方にくらいついていた筈だ。
 念のためと相方にメールを送ってみたが、やはり、牡丹(おはぎ状の外見から命名)は家に居る。じゃ、あれは誰だ。赤の他猫であんなに似るとは思えない。つーことは、やっぱりチビ助は野良猫の子だということか?しかしそれにしては拾ってからの挙動が腑に落ちない。謎が謎のまま、しょうことなく会社へ向かったのであった。まあ、解けないからって結果は変わらない謎だしな。

 『デスノート(大場つぐみ・小畑健/著、集英社)』全巻読了。ブームになるだけある面白さだった。
 いみじくも「ヒーローは孤独だ」とピーター・パーカーは喝破したが、愛する者守る者にさえ正体を明かさず、なお力の乱用を自ら戒めつつ目的(まあ、それが「悪人退治」の場合も含めて)に向かう戦いに身を投じるのが正統派ヒーローというもの。対し、救世を目的とした筈が(かの果実の結果たる)智恵巡らせあう殺しのゲームにこころ奪われ、結果「大いなる力には伴う大いなる責任」を忘れ去り己の保身を第一に何も愛さなくなった主人公・月は、孤独すら感じぬアンチ・ヒーロー像としてほぼ完璧といえよう。でありながら彼も彼の敵もまた絶対的に善の悪のと定義できないところ、また裏をかき合うコン・ゲームを前舞台に、抹香臭い説教調で因果応報を説くでなく、死の酷薄さ虚無感、ヒトの性根の度し難さをさらさらと描いてみせる背景描写も実に実に上手い。
 ただ惜しむらくは、Lと警察組織を向こうに回し息もつかせぬ頭脳戦を展開した前半に比して、後半は力不足の謗りを免れぬのではと。これまで手持ちの駒をどう動かすかで丁々発止と烏鷺の競ったチェス盤が、力押しの敵と防戦一方の主人公という構図の果てに将棋の駒(しかもと金)を投入されてケリをつけられてしまったようなイメージ。「そりゃ無理やろ!」とハリセン持って殴るべきはジェバンニかニアか。僕はどっちかというと両方やっちまいたいですが。


12月5日(火) 曇

 拾い猫の「ぼたん(漢字はちょっと重い気がする)」は、乳児から幼児を経て子供へと快調に成長中。顔と目の比率を決めかねているように、日々面つきが変わるのが面白い。今のところは、なんとなくキツネザルに似ている。
 動きもますます活発化し、行動半径の広さも増してきて、相方と「攻撃に高さが出てきましたね〜」などとスポーツ解説者みたいなことを言ってる間に意外な場所へ潜入されてたりする。ラックの下、本の後、もちろんダンボール箱の中と所在転々。ソリッド・スネークかおまえは。いきなり飛び出して襲ってくるのはC4でも仕掛けるつもりか?
 そんなヤツなので写真撮影などむろん無理、黒い残像だけが画面の端に写るばかり。なんか、こういうマンガがあったよな〜。

 で、漫画といえば、先ごろの日本SF大賞を萩尾望都の『バルバラ異界』が取ったとのこと。それ自体は妥当と思うが、ニュースの補足で驚かされたのが、コミックの受賞は大友克洋の『童夢』に続いてたった2作だということだ。なんで何で?優れたSFコミックはそれこそ星の数ほど出ている、例えばこの作者にしてもこれに先立って『銀の三角』『A-A'』『X-Y』などの名作があるじゃあないか。過去の受賞作をみるに、失礼ながらさほどの名作力作ばかりが居並んでいるとも見えない。日本SF作家クラブも草創メンバーが「重鎮」化して、どこぞの文壇みたいに固いおツムになっちゃったのかしらん。

 さてそんなSFコミック、かつて少女漫画と呼ばれた方面にも名作力作が多い。樹なつみにひかわきょうこ、清水玲子あたりはもう、斯ジャンルの顔ともなっているようだ。
 で、この中に伍して劣らぬIfものと勝手に認定している『大奥 第二巻(よしながふみ/著、白泉社)』。奇病によって男女の人口比が狂った江戸時代、男女逆転した大奥を描く物語。今回はその発端である三代将軍家・家光の時代が舞台となる。
 母や弟との確執、盲愛を注ぐ乳母への依存と反発、女嫌いを標榜の挙句に尼を還俗させて我がものとした横暴、そんな逸話が現代に伝わる将軍をこの異形の世界に置き換え、その立場に据えられた者の姿は…ひたすらに哀しい。ひとり「家光」のみならず、その周囲に配された人々全てがこの未曾有の事態に立ち向かうため各々の悲しみに耐えねばならない苦渋の中にあり、1作目の「奇想時代劇」の痛快さは求めるべくもない。よしなが作品の軽妙を好む人には、正直薦めにくくすらあるほどに。
 たとえば作中、全てを取り仕切り支配しているかに見える春日局でさえも、自分がしていることの無残を重々承知していると見える描写が随所にある。後半の回想シーンでの彼女は、かつての竹千代ではなく今目の前にいる「家光」をなんと愛しげにしていることか。だが同時に、将軍家のため国のために為さねばならぬことは断固として行う、戦国生まれの(しかも明智に連なる)女の気概(いや、かの時代へ戻ることの恐怖か)もきっちりと描きこまれているゆえに、その残酷も徒なものとならず、読み手の胸に痛い。
 そうして「家光」「春日局」「お万の方」の織り成す強烈なドラマの中、脇を固める澤村伝右衛門という男が、実にもって「サムライ」なのが、時代小説読みの性かひどく印象に残った。お家の為という大儀に従うべく幼子から母を奪い、まっすぐに育つことを奪い、人生の歓びをさえ奪った男が、その当の相手の命ずるまま、人殺しも通り魔の真似事も、挙句女装しての道化舞まで恬淡と表情なく行うその心情やいかならん。こんな風に思いやられてしまうのも描き方の妙によるものだろうと思いつつ、一本とられたなどと軽いリアクションを返すことさえはばかられるのであった。

 それにしても1作目でちらりと語られた、たとえば衣服の柄などへの言及が次々伏線として活きてきたのはお見事としか。また、ことここに至って気になるのが、あの老人の素性である。名前を考えると、部屋付きの彼あたりか。ああ、なにかそのへんでまた、時の流れがヘヴィに語られそうな気が駿河大納言。<牽強付会な駄洒落


12月14日(金) 曇

 ここしばらく、整理中の書庫から溢れてきた本の中で未読のものを拾い集めて読んでいる。積読のまましまい込んでたり、相方が買ってこっちは読んでなかったり或いはその逆だったりというヤツを整頓しているのだが、今日はその中から『古代都市ローマの殺人(ジョン・マドックス・ロバーツ/著、加地美知子/訳、早川書房)』を読み終える。
 どこを切っても「もう一歩」な作品であるなこれは。
 時あたかも共和制末期、まだ若きユリウス・カエサルが蕩児としての名を高からしめつつ己の政治的立場を明確にし始めた頃合のローマを舞台に、正義感とローマ市民の矜持をもって事件にあたる若き捜査官を描く…という設定はいい。散りばめられたキャラクター群も、実在・非実在を問わずなかなか良く描けている。特に前者、カエサルとキケロ、あるいはミロとクラディウスのその後の史実上の因縁などを思うと歴史好きには興趣深いものがある。
 が、しかし、けれどもだけれども、それで面白くないんだから困ったもんだ。
 ミステリとするにはかなり序盤でネタが割れる。ではサスペンス或いはハードボイルドというには話の持って行き方がいまいちスマートではない。説明がくだくだしいかと思えば不親切、盛り上げどころで妙にローテンポだったりして、おおと勢い込んで突っ込んだ章で眠気を催しそうになる。
 おまけに訳が、これまた「もう一歩」。せっかく専門家の教示を仰いだというに、リクトルとかオーメンとかって単語を説明不足のまま放り出しているから、まったくこの時代に興味を持たない人はそこで壁に向かってシュートしちまったのじゃなかろうか。また、濃い目の読み手を想定したにもせよ、発音記号そのままの表記を採用したら馴染まない言葉もあろうと考えてはもらえなかったのか。例えばウリッセースと言われても日本人にはユリシーズで通ってるのだから、そこを妥協するのも訳者のバランス感覚じゃないのかな。既に絶版となっているらしい本書、訳者氏は今はもっと熟練されていることを祈っている。


12月22日(金) 曇

 年末進行でイイ感じにデスマーチが加速し、日々これ労働といった趣。もはや自分の時間などという夢物語を語る暇さえありゃしなく、食って寝て起きて仕事というシンプルなパターンに嵌め込まれている。が、それでもなおかつ本を手にして読んでいるあたり、我ながら業の深いことだ。来世というのが本当にあるなら、たぶん紙魚にでも生まれ変わるに違いない。いや、ひょっとして今この時点で紙魚のみている夢の中の存在だったりしてな?

 とかアリガチな悪夢ごっこの好きな人間にはこたえられない『スノウホワイト(諸星大二郎/著、東京創元社)』。
 『トゥルーデおばさん』に続く「グリムのような物語」シリーズだが、版元・掲載誌が違い読者層が(濃いほうへ?)異なるせいか、こちらのほうがより仮借なくオリジナルの童話がもつ暗く冷酷な面を描き出している。作者一流のシュールな世界と2人?の息づまるようなやり取りを描く「奇妙なおよばれ」なんか、溢れて床にぶちまけられそうな胸苦しい不安感が何ともいえない。またその直後に、オリジナルとは反対の結末を説く「漁師とおかみさんの話」が続き、割り切れないままの平安という妙な感覚を味わわせてくれるのも妙味かな。
 ただ、表題作の料理はイマイチかと。ネタとしては割とありがちというか、意外と毒気が乏しいな。すぐに思い浮かんだ由貴香織里のゴスロリ系スプラッタは上作だったと思うのだが、あのぐらいまでケバくして似合う話なのではないかしらん。



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