店主酔言

書籍・映画・その他もろもろ日記

2007.1


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1月1日(月) 晴

 謹しんで新年のお慶びを申し上げます。

 と、今年も年賀状の用意どころか大掃除すら済んでない年明けを迎え、茫洋と起き出す2人と猫3匹。いや正確には猫のほうが、それも秋口に加わった仔猫が先に目覚め元気に猫発作やらかしてくれたので、尻尾を持たないデカブツどもは布団を這い出しておめざを差し上げねばならなかったんですけどね。一年の計は元旦にあり、すなわち今年も猫奴隷決定と、とほほほほ。

 で、まずは部屋の掃除と、うず高く積み上がった洗濯物の処理から。ウイークデイは毎日深夜まで仕事、日曜は相方の母上の病院へ街を横切って遠足してたものだから、室内は実になんとも物凄い状態になっていた。さすがに床が見えないとか何か埋まって化石になってるとかは無いけれど、部屋全体がくすんで見えるような印象になってるだけでもうどうかと。かくて習いを破って元日早々に働きまくり、居住空間だけはとりあえずキープしたところでやっと、昨日ぎりぎりで買い込んだおせちを食って正月に追いついた。

 午後の陽が傾いたところで、映画『サイレントヒル』鑑賞。なに、正月に相応しくない?ほっとけ!劇場へも行けずDVD買っても観る暇がなく、ようやく今日という日を迎えたんじゃあ!
 と、非難がましい目をする猫に視線で返しつつ、じっくりハマりこむこと2時間。うむ。これは!
 ゲームシリーズのファンとしては、まず純粋に画づらが嬉しい。雪と灰の差こそあれ、霧に鎖された虚ろな街に白いもの降りしきる風景の不思議な美しさ。その中を這い回りのたくり回り迫りくるクリーチャーたちの生々しさおぞましさ。これは万難を排して劇場で観るべきだったな〜。ワイドスクリーンでこれらを目に出来れば、ゲーム以上に臨場感を味わえた筈なのに。
 物語と登場人物は、ゲーム1作目を中心として構成されている。主人公を父親から母親にしたことで『エイリアン2』や『フライトプラン』のようなパワフル母ちゃん奮闘系のストーリーになりはしないかと危惧していたのだけど、戦闘能力も天才的な頭脳も無い普通の女性が、ただ母としての想いだけで異常の中を心細く往く姿はオリジナルの文系へなちょこ父ちゃん(ごめんハリー)と同じく不安感たっぷりに描かれていたと思う。また父親が居て、こちらは時期を逸してか実際家の性質ゆえか異世界へ入りそこね、だが現実世界で事実を求めて奔走するというのも、ゲームの謎解き部分を分担する意味では上手い作りだ。さらに終幕、家族の1人の存在が異質なものになったことで迎える切ない情景は、この変更あってこそだろう。
 さらに大きく変わったと言えば、やはりアレッサの母、ダリア。が、アレッサを襲った悲劇が狂信の母によって為されたとすると、後半のカタストロフが爽快感の全く無いものになりかねまい。「3」で目的のために他者へ犠牲を強いるクローディアをアレンジしたものならん、伯母のクリスタベラを創出したのはこのためだろう。その最期の生臭い描写は「3」の神の誕生シーンといい勝負である。
 他の人物では、原作よりもボーイッシュでオットコマエなシビル、情景の一部としてしか出てこないけれどビジュアルのそっくりぶりが「あの」場面を思い出させて切ないリサと、女性陣がとにかく目を引く。あ、もちろん、シェリルからシャロンへ名前も変わりビジュアルも大幅変更なったとはいえ、娘の可愛らしさもたまらんものがある。それゆえ同じ姿で正体不明のナニカであるところの、ダーク・アレッサにはすっげー怖さがあるのだが。
 クリーチャーは、ゲームだと「2」から引かれたものが多い。ことに大看板の三角頭は映像もさりながら行動がアグレッシヴすぎて怖いこわい。やる気なさそーに大包丁引きずってずいーこずいーこ歩いてるだけでも総毛立つほどだった(ショットガンさえ効かない無敵っぷりを除いても、だ)のに、サイレンの咆哮とともにずわぁぁぁと神出鬼没されたひにゃ、逃げるどころかその場でショック死しそうである。ぜひ「2」も映画化して、さらに活躍してみせていただきたいな。あっちのほうが話としても映画にしやすいと思うし。
 最後にやはりゲームファンとしてとびきり嬉しかったのが、オリジナルからもってこられた音楽の多かったこと。特に冒頭、あの切ない弦楽の調べがさらっと流れた時と、幕切れに「3」を彩ったあの歎歌を持ってこられたときはうっかり切なくなっちまいましたぜ。やっぱアレかな、1作目からずずーっとリプレイして追体験すべきっすかね。<時間ねえよう(泣)


1月6日(土) 晴のち雨

 季節外れの雨を眺めつつ、昨年末から読んだ本のメモなど。

 『処刑の方程式(ヴァル・マクダーミド/著、森沢麻里/訳、集英社文庫)』
 1960年代、イギリスの寒村で起きた少女の失踪事件。真摯に取り組む若き警部の前には、非協力的なうえに愚鈍を装った狡猾さで何かを隠し続ける村人、怪しい上に鼻持ちならない地主、出来すぎな状況証拠の山だった。疑念を抱きながらも犯人を逮捕し絞首台へ送り込んだ後、時は流れて現代、うら若いライターが事件を発掘し新たな疑惑を掘り起こす。
 ストーリーはいいんだが、書き方が少しく冗長。おかげで前半にはイライラする部分も少なくない。が後半、全ての謎が解かれるに至り、あまりに醜い現実とそれに対する人々の憎悪、そして愛と誠実が描き出されるくだりは秀逸。再読する気にはなれないけれど、一度じっくり読むぶんにはお勧めである。

 『よつばと! 6(あずまきよひこ/著、メディアワークス)』
 シリーズ開始当初、あまりにもナマの子供っぽいせいでよつばが好きになれなかったもんだが、最近めっきりその狂騒もとんちんかんっぷりも、身近な子供たちのそれに見えて好ましい。代わりに彼女の周辺の大人たちが、ありえねーほどデキたイイ人ばかりなのに微妙に落ち着かない気持ちになっているのだが。汚れちまったか?(笑)
 今回「とーちゃん」の明確な躾の姿勢がいい。理不尽に「怒る」のではなく、けれど怒りが存在することと何処に向いているかをきちんと示しつつ「叱る」のは難しいんだよなあ。逆に子供に理不尽をぽいと提示するような三姉妹の母もまた、大人には難しいリアクションをカロヤカにこなしてるとも思うけれど。ぜひ見習いたい。<そっちをかよ!
 同時に買った絵本『よつばとしろくろのどうぶつ』はイマイチ。動物はよく描けてるけれど、話の無い一枚絵で語るタイプの作者じゃないと思う。よつば、もしくは白黒の動物に萌える人専用アイテムですね、これ。

 『花々のゆううつ(波津彬子/著、小学館) 』
 19世紀英国と維新前後の日本に流れる静かな空気を描く作者の、今回は「うるわしの英国シリーズ」第4弾、お貴族様の優雅な世界…のはずが、子供の立場とか教育観とか心霊研究とか、当時の風物を知るに楽しい1巻となっている。なぜか(態度の)デカい猫に楽しく侵略されている気もするが、それもまた愉し。

 『PLUTO(浦沢直樹/著、小学館)』
 オリジナルには登場しない人物の出現で、いよいよ原作から遊離するか?に見えてどっこい、人間を巧みに絡めつつ話の軸はあまりブレていない。ただ、ゴジ博士とプルートゥが同一なのか?って描写がちょいと気になるところ。いや、これも筆者お得意のミスディレクションなのかもしれないが。
 がしかし、ミスディレクションも度が過ぎたきらいのある『20世紀少年 22』にはちょいとウンザリ。たぶん終盤前のタメにかかっているのだろうけど、思わせぶりな情景と台詞が乱れ飛ぶだけの巻は、読むことが作業になりかねん。ちょっとペースを上げてほしいんだけどなあ。

 『ぼくとフリオと校庭で(諸星大二郎/著、双葉社)』
 ごく平凡な少年の日常が「シュレディンガーの猫」のような不確実性の塊になる表題作を始め、独特な不安感に満ちみちた作者の世界がみっしり詰まった一冊。あまりに高濃度高密度なので、ふとした拍子に破れて現実へどろーりと侵食してきそうな気がするほどだ。体調の悪いときに読まないほうがいいかも。うっかり夢に見て、そのまま覚めないかも知れぬ。

 『井戸端婢子(平山夢明/著、竹書房)』
 余韻楽しい『「超」怖い話』シリーズを支えたデルモンテ平山氏、小説書きとして勢いよく筆を走らせている様子うれしくご祝儀にと一冊。江戸の風情を語っていかに、とつらつら見るに…。
 あきまへん。
 手に馴染んだ怪談ばなしを下敷きに、書き割の前へ三文大根並べて芝居させてるような、時代の匂いのまったくしない代物。前書きで杉浦日向子氏をひきやい(笑)に出してたけど、そりゃあんまり失礼だ。かのタイムトラヴェラーがあっちででんぐり返ししちまいそうなデキで読んでるこっちが恥ずかしい。せめて身分ごとの口のききようぐらい区別できるようになってから書きねぇな、そんな枝葉をねじ伏せるほどの筆の力が字の文にあるじゃあないのだし。あのおひとを惚れさせた砂絵のセンセイなんぞがいいお手本になりますぜ。
 で、この平山氏の次代を担うべくネットで集まった若い書き手たちによる『「超」怖い話 超-1コレクション Vol.3(加藤一/編、竹書房)』は相変わらず楽しく背筋をざわつかせてくれる。ただ、やはりというか、書き手が代われどネタがそうそう変わるものでなし、書き口を合わせてるものだから印象がどんどん薄くなってくうらみはある。こっちが擦れてきたのが最大の理由なんだろうけど、好きで読むほどに楽しめないってぇのは因果だ、ねぇ。<いつまでやってる時代劇

 『猫は爆弾を落とす(リリアン・J・ブラウン/著、羽田詩津子/訳、早川書房)』
 前出の平山氏を抑え、今年最初の大はずれ。前作の時点で既に当たりは期待してなかったのだけど、それにしても酷すぎる、もはや末期的としか。他人の評判でしか描写されない人物の死をネタにした時点でさっぱり興味が湧かないメインストーリー、かと思うとこれまでシリーズを彩ってきた個性的な脇役の死を、さらっと一行で片付けて終わったり。死の重みがどんどんリリアンおばさんの中で無くなってきてるんだろうなあ。文章も散文的というかメモ書きというか、細かい描写も面倒になってきたんだろうな〜としか思えない。もはやこれまで、ここらで長いお別れを。


1月11日(木) 曇

 年末に拾った猫の「ぼたん」は、最近すっかりおとなびてきた。プロポーションが既に仔猫のものでなく、「サイズの小さな猫」になっている。脚長く頭小さく鼻筋尖り目は大きく、なかなかの別嬪であるのが妙に嬉しい。ほっそり長い尻尾の先がちょっと曲がっているのはご愛嬌だ。
 が、この美少女、とにかく暴れん坊きかん坊である。
 既に老境を通り過ぎて棺桶に両足突っ込んでる(なにせ21年も生きてるのだ)先住猫たちに飛びつき押し倒し蹴りまくるぐらいは序の口。彼女のここしばらくのご執心は天井の灯りに下がった紐なので、そこらに人間が突っ立ってると、あっという間に肩まで駆け上がってくれる。座っていると背中に登り、寝そべっていると立てた膝にとまる。総じて高いところが好きなのかと油断すると、今度は服の裾から潜り込む、布団から出ている足を齧る、猫発作を起こして熟睡中の体の上を駆け回ると傍若無人の限りを尽くしている。
 とりあえず本気で噛んだり引っ掻いたりしない手加減はしてくれているのだが、このまま大きくなってしまったらどないしよう。いや、かつてこの不安を抱いた子猫たちはいずれも落ち着き払った怠け者に成長してくれましたけどね。

今日の1枚

 しかし彼女は今日も爪とぎポールのてっぺんで、室内で動くものに目を光らせているのであった。なんかのボスキャラみてーで怖いっす。

 『ブルックリンの八月(スティーヴン・キング/著、文春文庫)』読了。4分割された短編集の最後の1冊は、残念ながら、ハズレ。がしかし、これは作者の咎ではない。
 まず、当方としては目玉であるところの「ワトスン博士の事件」が既読。実にデキのいいホームズ・パスティーシュなのだけど、流石に初見の喜びは無い。で、他の作品が作者の息子の所属するリトルリーグに寄せられているので大マイナス。よく書けたノンフィクションなのは認める、だがこちとら野球が好きじゃないのだ!
 とまれ、多面性の作家キングの面目躍如な短編集ではあった。ぜひまた1冊ものしていただきたく。


1月17日(水) 曇

 朝に晩に、とびまわり跳ね回る子猫を眺めていて、その育ち方がふと気になった。頭が、あまり大きくなっていない。考えてみたら人間だって、そんなに頭の鉢のサイズは変わらないだろう、たとえば43年を生きて今日に至った僕とか。
 頭蓋骨は、いつ育つのか。たぶんこの疑問は、昔の人も持っていたのじゃなかろうか。でなきゃ「義経公3歳のおんみぎりの頭蓋骨」とか「コロンブス8歳の頭蓋骨」とかの万国共通ネタは無いだろう。
 で、いつ交換するのだオマエの頭蓋骨は、ぼたん?

 今日までに読んだ本。
 『殺しのグレイテスト★ヒッツ(ロバート・J・ランディージ編、ハヤカワ文庫)』
 殺し屋を主人公に据えた短編を集めたアンソロジー。この職業では珍しいシリーズ・キャラクターのケラーを始めとし、いずれ劣らぬ腕利きたちが競い立つ一冊。けだるいボサノヴァのように流れるハードボイルド調あり、作中人物とともに首ひねらされるミステリあり、ハリセン持って乱入したくなるトボけオチありで読み応えは十分。ひさびさに満足度が高かった。

 『KATANA 1 -襲刀-(かまたきみこ/著、ぶんか社)』
 年経た器物にこもる物の怪、いわゆる物神を描いて心和ませる描き手による新シリーズ。刀という、殺人の道具として作られながら鑑賞される物の魂だけをチョイスした設定はユニークだし、かれらと語らう少年の日々に起こる椿事は楽しく読めるのだが、どうも急速に話を大きくしている気がしないでもない。もっとも作者の思惑がどこに向いているかも分からない物語の端緒、じっくりお付き合いしてから判断すべきであろう。期待しております。


1月25日(木) 雪

 昨日から断続的に降り続いたおかげで、あたり一面雪景色…と書くと何を当然のことをと思われそうだが、今年はつい昨日まで市内全域で路面が露出してたほどの雪不足なんである。年明け早々に低気圧の影響だかでざざーんと大雨が降り注いだりして、雪まつりにさえ事欠くありさま。北の大地は今年も順調に試されていた。
 それが今日になって、まるで帳尻合わせるようにしっかりと舞台設定ができている。そういえばクリスマスの時も、正月もそうだった。
 ひょっとして、中の人が代替わりして突貫工事派になったのかなあ。
 ご同類とか思いつつ、やっぱり唐突に雪かき地獄ってぇのは迷惑だよなと雪空を見上げて思うのであった。責任者、どうにかしろ。

 『飛ぶのがフライ(ジル・チャーチル/著、浅羽莢子/訳、創元文庫)』読了。
 名作映画をもじったタイトルも楽しい「主婦探偵ジェーン」シリーズ、つとに愛読してきたけれど、今回は一読、とんでもない衝撃に襲われた。本当に思いがけない、最悪の事態(作中人物にとっても、僕ら読者にとっても)が起きたのだ。巻末に書かれた事をバラすのはどうかと思うが、書かずにいられない。
 訳者の浅羽莢子さんが、亡くなっていた。
 ときどき古めかしい単語(例えば今作では「お勝手」とか)が混じるものの、たいへん読みやすい文章と的確な訳注でミステリやSF(そしてゲームブック!)を読ませてくれたかの人が、昨年9月に世を去られていたとは。おのが不明に恥じ入りつつ、ひたすら長きにわたる感謝の念を捧げるのみである。本当に、ありがとうございました。
 ちなみに、このショックのでかさに頭からケシ飛びかけた本作品は、いつもながら地に足の着きまくった生活感に満ちみちて親近感あふれるものとなっている。キャンプ場の下見に行ったはずが環境保護の狂信者だの嫁姑問題だの殺人事件(しかも死体が行方不明?)だのに出くわして狼狽しつつ、猫皆殺しの好奇心を抑え切れないジェーンと相棒。軽口まぎれに展開する推理は、だが人の思い込みを見事に突いて鮮やかである。ネタは小さいが、盲点に気付かされたときに息を呑まされる感じは実に愉しい。
 …願わくば次巻以降の訳者氏が、浅羽氏の衣鉢を正しく継いでくださることを。


1月26日(金) 晴

 出勤しようと家を出たら、庭木にシジュウカラが来ていた。モノトーンに身を包んだ洒落者が2羽、くるくると枝を飛び交っている。軽妙そのものの動きに目をうばわれ、しばし茫洋と眺め入る。
 気を取り直して歩き出すと、途上の公園でキレンジャクの群に出会った。高い白樺の梢にこぞって止まり、マイクロサイズの鈴が降るような鳴き声を飛び交わせている。渡りのコースを変える鳥とてこの僥倖は逃せないと、またしばらく立ち尽くして耳傾ける。
 無神論者が人知を超えた存在をふと思ったりするのはこういう瞬間だな。
 もっとも、すぐに出勤時間という、これ以上ないほどの卑俗な問題に急かされ駆け出していくワケだが。

 とまあ、そんなこんなで意識があっちこっちへ逸れていたせいか、思わぬ失敗をやらかした。
 通勤列車の入るホームへ上がっていったら、ひとつ前の電車が停まっていた。こいつは快速なので、乗るわけにはいかない。で、反対のホームには別な車両がいて、どうやらこれは目的の電車の後で発車するらしい。
 なら、目当てのヤツが来るまで座っていればいいじゃないか。
 と思って乗り込み、読み止しの本など開いてくつろいだら…ドアが閉まった。あれ?あれれ?他には誰も乗ってないよ?
 見事に、回送列車に乗ってしまったのだった。そのまま電車は走り出し、存在を告げようにもここは最後尾、当然ながら車掌はいない。
 あちゃ〜。
 仕方がないのでえっちらおっちら、無人の電車の中を前方向へ歩き出す。よもや走行中にどうにかできるとは思わないが、どこかで停まったら運転手に説明せねばならんだろう。
 動く電車の中という人気があって当然のところに誰もいないというのは、なにか悪夢めいていて妙に心躍るものがある。ゲームでいうとお気に入りの『サイレントヒル』みたいだ。表がピーカン晴の青空でなければ、イイ感じにホラーなのにな〜。
 とか思いつつ辿り着く頃には車両は駅と駅の中間退避地点で停まり、運転手さんがドアを開けて出てくるところだった。当然ながら彼の驚愕は言うまでもない。どっちかっつーとあっちのほうがホラーな体験をしてるわけですかねこの場合。いや、ほんとスミマセン。


1月27日(土) 晴

 友人の結婚式に出席。常日頃(というか前夜22時)は熊のようなヒゲ面の新郎が妙にサッパリと男前だったり、ちまっと可愛い新婦にドレスがよく似合って華やかだったりとかいうマトモな面はさておいて、お色直しの入場に「あ〜い〜♪それは〜儚く〜♪」とベルバラだの「数え切れぬ〜♪喜びと〜♪たった一つの〜♪小さな〜涙〜♪」と聖飢魔IIだのがかかって、相方と僕は七転八倒していたのだった。どうもこの二人で出席する結婚式にはこういう謎のファクターが多すぎる。まあ、かくのごとき高い敷居を乗り越えるせいかどうか、皆さんいずれも幸せに添い遂げておられるが。M嬢、K氏、どうぞお幸せに。


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